バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル チャイコフスキー 幻想序曲「ロメオとジュリエット」(1989.10Live)ほか

恋人たちの人物像より悲劇のイメージを音化したチャイコフスキー初期の傑作。

その設計は、ソナタ形式によるもので、まず修道僧ローレンスを表現する宗教的な序奏に始まり、続いて、ロ短調のアレグロで、モンターギュ、キャピュレット両家の激しいあつれきを描き出す。そのあと、ロメオとジュリエットの恋がくる。この「愛の主題」(変ニ長調)はのちにニ長調で現れ、全曲は、この恋人たちの死をもって終る。
(ニコライ・カシキン)
「作曲家別名曲解説ライブラリー⑧チャイコフスキー」(音楽之友社)P137

「ロメオとジュリエット」が単なる恋愛ドラマでないことをチャイコフスキーは知っていた。シェイクスピアの慧眼というのか、生死、時空を超えた因果の物語を彼は何と見事に音で描き切っていることか。激しい軋轢ゆえの激しい恋、死をもって一つになるのは理想だが、命が各々別々であることを皆忘れている。古来、情死や心中を含め、(最大の罪たる)自ら命を絶つ人のあまりに多いことよ(しかしまた、そういう負の状況こそが芸術的であると言えばそうなのだが)。

粘着質の、最晩年(死の1年前!)のバーンスタインの解釈が僕は好きだ。管弦楽の隅から隅まで見通せ、聴こえる、ゆったりとしたテンポの、大らかでありながら集中力に富む、情感に溢れる演奏が実に素晴らしい。

チャイコフスキー:
・交響曲第5番ホ短調作品64(1988.11Live)
・シェイクスピアによる幻想序曲「ロメオとジュリエット」(1989.10Live)
レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック

序奏からバーンスタインの深い祈りの思念がこもる清澄な音。何という安息か。主部に入ってのモンタギュー家とキャピュレット家の永年の諍いと、一方で愛を育むロメオとジュリエットの悲哀が錯綜しながら紡がれる様がまた見事。

僕がブラームスやチャイコフスキーやストラヴィンスキーの作品を指揮しているときに、僕が彼らにならなかったら、すごい演奏にはならない。一丁上りの演奏か、ひどい演奏にしかならない。真に良い演奏をしたと僕がわかる唯一の道筋は、僕が曲を進んでいきながらその作品を生み出しているように感じるとき、つまり、あたかも僕がまったく初めてこれを創作しているという気持ちを持つようなときだ。
ジョナサン・コット著/山田治生訳「レナード・バーンスタイン ザ・ラスト・ロング・インタビュー」(アルファベータ)P147

この演奏の翌月に交わされた最後のインタビューでの言葉が、いかにも作曲家バーンスタインらしい。

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