シューリヒト指揮パリ・オペラ座管 モーツァルト 交響曲第36番「リンツ」(1961.11録音)ほか

速めのテンポで颯爽と走り抜けるシューリヒトのモーツァルト。
その晩年、コンサートホールに録音した稀代の職人の音楽は、「疾走する哀しみ」ではなく、「疾走する歓び」だといえる。

傑作《リンツ》交響曲の得も言われぬ美しさ。第1楽章序奏から何とニュアンス豊かな音楽が響くのだろう。オーケストラのアンサンブルの瑕を超えて、モーツァルトの純真無垢な姿が見事に投影される。第2楽章アンダンテの柔和な音に僕は魂の震える思いがした。
そして、弾ける第3楽章メヌエットの堂々たる音。さらに、終楽章プレストの、外へ、外へと開放される音楽の神々しさ。シューリヒトの老練の棒が何と有機的な音を生み出していることか。感動だ。

モーツァルト:
・交響曲第36番ハ長調K.425「リンツ」(1961.11録音)
・交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」(1963.6録音)
カール・シューリヒト指揮パリ・オペラ座管弦楽団

《プラハ》交響曲は、それ以上の名演奏。
第1楽章序奏アダージョの、夢の中にあるかのような曇った音色から、主部アレグロに入って明朗に輝く音調のコントロールのあまりの美しさ。緩めのテンポから一気に加速する妙味。そこだけとり上げても、シューリヒトのモーツァルトの尊さよ。続く第2楽章アンダンテは、何と思い入れたっぷりに歌われることか。当時のモーツァルトの苦悩の翳を哲学的に(?)反映しつつ、実に巨大な音楽的内容がここには含まれる。シューリヒトのモーツァルト随一の録音だと僕は思う。一方、終楽章プレストの勇猛な音楽は、逆境を乗り越えんとするモーツァルトの信念の表現なのか、生命力豊かな演奏に思わず手に汗握る。

晩年の20年間、この指揮者は、妻の愛情、アンセルメからの信頼、ガブリエル・サーブの気前のよさによって、自らの指揮で演奏するオーケストラの感受性と取り組みによってその作品解釈が認められることで、聴衆の感謝の思いと愛情によって、自らの力をかつてないほどにまで高めていくことができた。彼は、重苦しく、長い試練の時代を、無垢のままで、子供のような心と陽気な性格、信仰、美しいもの、書籍、風景、人間といった、ありとあらゆるものに感動する力によって、次々と乗り越えていった。人生の最後のときを迎えつつあった、厳かなある夏の日、この老いた人物は、ラ・プロヴァンサル荘のテラスで、ドレル・ハントマンに、こう語った。「人生とは、生きるに値するものだよ」と。
ミシェル・シェヴィ著/扇田慎平・塚本由理子・佐藤正樹訳「大指揮者カール・シューリヒト―生涯と芸術」(アルファベータ)P370

シューリヒトの人生は、まるでモーツァルトの人生のようではないか。
ただ、彼はモーツァルトの2倍以上を生きることができた。だからこそ「人生とは、生きるに値するものだ」と断言できたのだろう。

カール・シューリヒトのモーツァルトにあるのは歓喜だ、大歓喜だ。

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