教えることは学ぶこと

schubert_trout_leonskaja.jpgグスターブ・ホルストの生涯、人となりについてはこれまでほとんど知識を持ち合わせていなかった。「早わかりクラシック音楽講座」を主宰していて思うのは、たくさんの方にご参加いただき、皆様にクラシック音楽についての楽しみ方を教えているようで、実は僕自身がいろいろな意味で勉強をさせていただいているのだということ。今回も資料を作成するに当たり、周辺の音楽を聴き漁り、少ないながら文献にあたることで様々な気づきを得ることができた。

ホルストの幼少期は「孤独」であったことがよくわかる。もちろん生涯を通じて基本的に「ひとりぼっち」だったことは間違いないのだが、その根っこが10歳にも満たない頃に植えつけられていたことが垣間見える。8歳のとき実母を亡くし、その後すぐにピアニストであった父親は再婚し、継母に育てられることになるのかと思いきや早速寄宿舎付の学校に出されてしまう。もともと病弱で、精神的にも決して強くなかった彼が、生涯神経症や不眠症に悩まされた原因は、やはり家族との絆の薄さ、コミュニケーション不足にあるだろうことがそこから推し量れる。

神経症を病んでいたホルストの心を癒した音楽の一つにシューベルトのハ長調クインテットがある。この音楽の「温かさ」が彼を前向きにしてくれたのだと。

確かに最晩年のシューベルトの音楽は深遠でありながら、わかりやすい「愛の感情」で満たされている。どれもが複雑で長大な構成であるにもかかわらず、涙する瞬間が極めて多い。チェロを重ねるという珍しい編成のこの五重奏曲は、人恋しさを助長する「優しさ」をもつのだ。

ところで、五重奏は五重奏であっても、同じシューベルトのピアノ五重奏曲はコントラバスが加わるという特殊な編成の美しい音楽である。

シューベルト:ピアノ五重奏曲イ長調D.667「鱒」
エリーザベト・レオンスカヤ(ピアノ)
ゲオルグ・ヘルトナーゲル(コントラバス)
アルバン・ベルク四重奏団

明るい音楽だが不思議な重みがある。ABQの演奏は現代的でクール。もう少し粘着性があったほうが良さそうなものだと個人的には思うが、慣れ親しんだこの音盤の価値は僕にとって原点であり、普遍である。昔よく聴いていたのはパドゥラ=スコダとウィーン・コンツェルトハウス四重奏団によるアナログのモノラル録音。これは古き良きウィーンの温かさが伝わる名盤だった。

現代は寂しい人が多いのだとつくづく思う。シューベルトを聴いて癒されよう・・・。


3 COMMENTS

雅之

おはようございます。
シューベルト:ピアノ五重奏曲イ長調D.667「鱒」のコントラバスの件、シューベルトが影響を受けたフンメルの同曲種
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1800654
との比較論を一席とも思ったんですが、今朝は時間がありませんので止めます。
大昔、シューベルトの元の歌曲「鱒」のクリスティアン・フリードリヒ・ダニエル・シューバルトによる歌詞の意味を初めて知ったとき、それまで旋律の印象では清流を溯上する健康で元気な鱒といった感を抱いていたのですが、ピチピチ・ギャル(それにしても言葉がオヤジだなあ・・・爆)のことを見立てているのを知り、ちょっと驚きました。
※改めて『ウィキペディア』より引用します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B1%92_(%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88)
明るく澄んだ川で
元気よく身を翻しながら
気まぐれなマスが
矢のように泳いでいた。
私は岸辺に立って
澄みきった川の中で
マスたちが活発に泳ぐのを
よい気分で見ていた。
釣竿を手にした一人の釣り人が
岸辺に立って
魚の動き回る様子を
冷たく見ていた。
私は思った
川の水が澄みきっている限り、
釣り人の釣り針に
マスがかかることはないだろう。
ところがその釣り人はとうとう
しびれを切らして卑怯にも
川をかきまわして濁らせた
私が考える暇もなく、
竿が引き込まれ
その先にはマスが暴れていた
そして私は腹を立てながら
罠に落ちたマスを見つめていた
※この後、シューベルトが歌曲で省略した部分が傑作ですよね。
いつまでも続く
青春の黄金の泉のもとにいるあなたがた
マスのことを考えなさい
危険に出会ったら落ち着いてはいられない。
あなた方にはたいてい用心深さが欠けている
娘たちよ、見なさい。
釣り針を持って誘惑する男達を!
さもないと後悔するぞ!
ったく、大きなお世話だっちゅーの!!とシューベルトが思ったのか否か?

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
フンメルのピアノ五重奏についてはほとんど無知状態ですのでいろいろと教えていただければと思います。
「鱒」の歌詞については僕も同じような経験をしました。あのメロディからは到底想像つかないですよね。
昨年末クラシック講座でシューベルトを採り上げた際、
http://classic.opus-3.net/past/-33/
「鱒」も聴いていただきました。その時、実は歌詞はこんなんなんだよと紹介したのですが、参加された方は一様にびっくりされていました。ところが、恥ずかしながら、シューバルトの原詩から省略された部分があるとは今まで知りませんでした!!
いやー、これは傑作です。
「大きなお世話だっちゅーの!!」と本当に思ったんでしょうね(笑)。
「S・O・S」ですか!!懐かしい・・・。今も昔も「男は狼だ」という教育・・・、これっていいんですかね?(笑)

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