クレンペラー指揮フィルハーモニア管 マーラー 交響曲第2番「復活」(1961.11&62.3録音)

マーラーはしばしば、夏になったら自分と家の者を訪ねて来いよと誘ってくれたけれども、残念ながら私は一度もトブラッハへ足を運んでいない。ある日彼から絵葉書が届いて、私を喜ばせた。後で聞いたところによると、彼は初めだれか他の者にその絵葉書を送らせようとしたけれども、自筆の方が「あの若者」の喜びもますだろうと言って(まさにその通り)、結局自らペンをとったという。彼は、私を見ると私と同名だった弟のことを思い出す、とよく言っていた。マーラーは、後で自殺した弟のオットーを非常に重んじ、自分などより彼の方がずっと才能に恵まれていた、といつも言うのだった。
(オットー・クレンペラー/河野徹訳「グスタフ・マーラーの思い出」)
「音楽の手帖 マーラー」(青土社)P69

オットー・クレンペラーの回想にはそうある。マーラーが言うように、才能ある弟が長命であったなら、音楽家としてのグスタフ・マーラーの名は今ほど世界に轟かなかったかもしれない。音楽史上においては大損失だ。そう考えると、オットーの自死は宿命だったともいえる。彼はまた次のように書く。

マーラーは、心からの19世紀児で、ニーチェを信奉し、典型的な反宗教人だった。にもかかわらず彼は、その全作品が立証するように、最高の意味で敬虔な人物だった—むろんこの種の敬虔さを教会の祈禱書に見出すのはできない相談だろうが。一生を通じて、彼は反ユダヤ主義者からも親ユダヤ主義者からも攻撃された。つまりどちら側も彼を是認しなかったのだ。彼はまったくのアウトサイダーであった。
~同上書P71

孤高の、否、孤独のグスタフ・マーラー。そういう視点で彼の音楽を捉えると、一層その真髄が身に沁みよう。クレンペラーの棒でならなおさらだ。交響曲第2番「復活」。何という重み、そして、何という敬虔さ。

・マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
ヒルデ・レッセル=マイダン(メゾソプラノ)
フィルハーモニア合唱団(合唱指揮・ヴィルヘルム・ピッツ)
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(1961.11.22-24 &1962.3.15, 24録音)

相変わらず丁寧な、思いのこもる、分厚い音の洪水は、クレンペラーならでは。他のどんな演奏にも比して不思議な説得力があるのは、彼がマーラーの薫陶を直接受けたからかどうなのか。クレンペラーによって語られる数多のエピソードが面白い。何より指揮者マーラーの天才!

オーケストラだけでなく、聴衆も彼(オスカー・フリート)の要求を充たした。つまり《第2交響曲》を大成功とみなしたのである。他の作曲家だったら、まず言葉をにごして、自分の作品がそんな風に演奏されるのは聴いたこともない、と言うところだった。マーラーの態度はその正反対で、むしろ真実を語ろうとしたのである。彼はフリートの解釈が間違っているのに気付いた。しかし自分が導いてやれば、その解釈も正しくなることを知っていた—そして実際に正しくなったのだ。
~同上書P67

厳しさと同時に慈しみとでもいうのか、マーラーの性格が読みとれる。さらには次のような言も。

ブダペストは、マーラーの生涯で重要な一段階となった。ハンガリー語は一言もさyべれなかったが、彼の堂々たる演奏のいくつかは、今日でもなおブダペストの語り草だという。彼が自作《第1交響曲》の初演をしたのはかの地であり、彼の指揮になるモーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》をブラームスが聴いて、ことのほか喜んだのも、やはりかの地であった。1897年、ウィーンで宮廷歌劇場の指揮者を探していたとき、ブラームスは、その地位に適した者は一人しかいないと断言した—「グスタフ・マーラーだ。私はブダペストで彼の指揮する《ドン・ジョヴァンニ》の楽しい演奏を聴いた」。
~同上書P67-68

第4楽章「原光」から終楽章にかけての、文字通り敬虔な音楽は、クレンペラーによって一層光を放つ。無邪気な、向こう見ずなクレンペラーにあって、マーラーの作品だけは別格であるかのように、その没入具合というか、真面目に、真摯に向き合う姿勢に感動する。
それと、シュヴァルツコップが抑制気味に歌う姿勢がなおマーラーの音楽に相応しく、つまり、作品に完全に同化している様子に心打たれる。録音から60年を経てもこの音盤の発するエネルギーは凄まじい。

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