エリクソン指揮ストックホルム放送合唱団&ストックホルム室内合唱団 R.シュトラウス ドイツ・モテト(1970.7-71.5録音)ほか

われわれの職業はエンタテイメントです。楽しさと言っても陽気なのも深刻なのもありますが、重要なのはそれは皆観客のためのものだということです。観客なんかどうでもいいという言う人もいますが、ぼくには理解できませんね。われわれを認めてくれるのは観客なんですからね。
(イングマール・ベルイマン「ヴェッコ・レヴィーン」誌1956年第9号)
三木宮彦著「人間の精神の冬を視つめる人 ベルイマンを読む」(フィルムアート社)P267

あらゆる芸術が相互コミュニケーションを前提に創造されているのだということを忘れてはならない。受け手の理解があってこその芸術なのである。

スウェーデン放送協会が創立50周年を記念してイングマール・ベルイマンに委嘱して(テレビ番組と)成ったモーツァルトの歌劇「魔笛」。それは、フリーメイスンの秘儀的部分が削除され、ベルイマン色に染まった、時に意味深な哲学的シーンを含む、絶賛すべき素晴らしい映画だ。音楽監督は、「合唱の神様」と謳われたエリック・エリクソン。僕が彼の名を知ったのは、ベルイマン版「魔笛」においてだった。

エリクソンの方法は挑戦的だ。レパートリーを広げる一方で、音楽そのものには真摯に向き合い、堅牢なフレームの中で、音楽家の魂を心から歌い上げる演奏を繰り広げる。その歌は、決して古びることなく、永遠の中にある。

ちなみに、別の機会にベルイマンはまた次のように語る。

観客がわれわれの唯一のゴールです。汝、観客のために—舞台の外の暗がりにすわっている人類のために働け。—これが演劇道のモラルです。もしも劇場関係者が正しい方法で働くならば、演劇はここ舞台上ではなく、かしこ闇の中にすわって見つめている人間たちの心の中でおこなわれることになるはずです。
映画であろうと—あるいは演劇であればなおさらのこと、常に観客のためを考えていなければいけません。

ウィリアム・ジョーンズ編/三木宮彦訳「ベルイマンは語る」(青土社)P156

一方、テレビでは誰のために演技をしているのかわからなくなると彼は言う。即座に反応がないからだ(ただし、テレビ版「魔笛」はエリクソンの真摯な音楽作りが手伝ってか美しく、そして素晴らしい。いや、そもそもモーツァルトの音楽があまりに美し過ぎるのだ)。

エリック・エリクソンによる「ヨーロッパ合唱音楽の歴史」から1枚。

・ブラームス:「祭典と記念の格言」作品109(1886-87)(1970.7-71.5録音)
・レーガー:5声の混声合唱のためのモテト集から「おお死よ、おまえはなんと厳しいことか」作品110-3(1909-12)(1970.7.-71.6録音)
・シェーンベルク:「地上の平和」作品13(1907)(1970.7-71.5録音)
・リヒャルト・シュトラウス:16部合唱のための「ドイツ・モテト」作品62(1913)(1970.7-71.5録音)
・エドルンド:無伴奏混声合唱曲「エレジー」(1971)(1975.1.23録音)
・バルトーク:4つのスロヴァキア民謡(1970.7-71.5録音)
マルガレータ・ハリン(ソプラノ)
マリー・ルイーズ・シレン(アルト)
スヴェン=エリック・アレクサンダーソン(テノール)
カール=エリック・ヘルシュトレーム(バス)
ケルスティン・ヒンダルト(ピアノ)
エリック・エリクソン指揮ストックホルム放送合唱団&ストックホルム室内合唱団

人声の変幻自在というのか、あるいは自由自在というのか、古今東西の作品が並べられる中、エリクソンの方法は闊達だ。正統派(?)独墺ものを中心に辺境バルトークなど。僕はことのほか静けさに溢れるリヒャルト・シュトラウスの「ドイツ・モテト」(リュッケルト詩)に魅かれる。あるいは、エドルンドの「エレジー」(エーケレーヴ詩)の暗澹たる、しかし、澄んだ調べよ(それは、真にエリクソンの指揮による賜物)。
バルトークが採取したスロヴァキア民謡にピアノ伴奏を付加した4つの作品のエキゾチックな(?)美しさ。第1曲「ポニキー地方の婚礼の歌」の厳しくも静かなお祝いよ。また、以下3曲はいずれも1分に満たない作品だが、ほのぼのと謳われる第2曲「ヒアデル地方の田園の歌」の楽観、あるいは颯爽として活発な印象の第3曲メジブロード地方の踊り歌」、喜び溢れる第4曲「ポニキー地方の踊り歌」に心弾む。

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