マタチッチ&ザグレブ・フィルのヤナーチェクを聴いて思ふ

janacek_matacic_zagreb少なくとも人間が作った世界に「絶対」はない。どんな人も過ちは犯すし、できないことだってある。法を犯すのは罪であるが、失敗したからといって責めるいわれもない。「完全者」などいないのだから。

ヤナーチェクの、晩年の作品である「グラゴル・ミサ」については、信仰という意味での音楽ではなく、カミラへの捧げものであるという論や、そもそもヤナーチェクは無神論者なのだから云々という説や、巷間様々言われるが、そんなことはどちらでも良いように思えてならない。現に音楽が目の前で鳴り、時に美しいシーンあり、時に絶叫するシーンあればそれで十分。信仰のない者が「音楽」などできないと僕は思うのだ。

レオシュ・ヤナーチェクが、晩年になって38歳も年下の人妻カミラ・シュテスロヴァーに恋をしたことは有名な話。残された手紙類を読んでみても、その激情たるや尋常でない。もちろんその恋は成就していない。しかし、遺書に妻よりもカミラの方に有利に書き、死後に彼女たちの対立を生むほどだから、プラトニックであれ何であれ本気だったということだ。

プラハで今「マクロプロス」が上演されています。主人公は337歳だけどまだ若く美しい。あなたもそうなりたい?彼女は不幸でしょうか?私たちは寿命が長くないので幸せなのです。だからあらゆる瞬間を有効に使わねば・・・
~1922年12月28日付、カミラ宛手紙

マタチッチの「シンフォニエッタ」と「グラゴル・ミサ」を聴いていて、いかにも土俗的で、であるがゆえのヤナーチェクの直接に伝わる激情に瞠目した。

ヤナーチェク:
・シンフォニエッタ
・グラゴル・ミサ
ラドミラ・スミリャニク(ソプラノ)
ニーナ・アンガロヴィク(メゾソプラノ)
アンテ・ミヤク(バリトン)
ゼリコ・マラソヴィク(オルガン)
ザグレブ放送合唱団
ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮ザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団(1979.12.19Live)

マタチッチが亡くなって早くも30年近くの年月が経過するが、この人の、野人的ともいえるぶっきら棒な音楽に僕はいつも感動させられる。こんなにも人間っぽい「ミサ曲」を聴けた試しがない。

速めのテンポで奏される「シンフォニエッタ」冒頭の金管ファンファーレから何ともマタチッチの世界。汎スラヴ主義を標榜したヤナーチェクの楽想にマタチッチの音楽的性質はそもそもピッタリなんだ・・・。第3楽章モデラートの「嘆き」が聴く者の肺腑を抉る。カミラへの「愛」と同時に、自身への「不甲斐なさ」までもが刷り込まれているようで何だか哀しくなる。このあたりがマタチッチの真骨頂。

「グラゴル・ミサ」入祭文の堂々たる響き!!「キリエ」における合唱を導く導入部には意外にも「艶やかさ」を感じるほど。なるほど、一般的なミサ曲とは一線を画するようだ。そして、中心楽章である「クレド」の聖俗相乱れる音調は、神とカミラを同等に扱うヤナーチェクの本心が投影されているようで、マタチッチの音楽作りの的確さに舌を巻く。オルガン独奏の後奏曲は聴きもの。確かに、ここにはいわゆる「信仰」はなさそうだ。

どんな人も完璧ではない。不完全であるがゆえの美しさがマタチッチのライブにはある。

 


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