プフィッツナー指揮ベルリン国立歌劇場管 ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」(1930録音)ほか

かつてあらえびすは次のように書いた。

同じレコードを2百回3百回とくり返して聴くのは、決して良い趣味ではないが、兎にも角にも、ベートーヴェンの音楽の感激度の高さとその説得力の強大さには、万々心得て居るように思いながら、幾度も幾度も驚きを新たにするのである。人類の歴史始まって以来、芸術の種類も数も夥しいことであるが、未だ曾て、ベートーヴェンの音楽に匹敵する「力」を持ったものを私は聴いたことがない。
あらえびす「クラシック名盤楽聖物語」(河出書房新社)P89

あらえびすの言葉の真意は、それから数十年を経ても一切変わることがない。それほどベートーヴェンの音楽は時空を超越し、普遍なのである。

ベートーヴェン没後100年を記念し、ドイツ・グラモフォン(ポリドール)によって録音された交響曲全集は、管弦楽をベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とベルリン国立歌劇場管弦楽団が分け、9つの作品をハンス・プフィッツナー、リヒャルト・シュトラウス、オスカー・フリート、エーリヒ・クライバーが振り分けた。中で、僕の心を捉えて離さないのは、ハンス・プフィッツナーによる第3番変ホ長調作品55「英雄」と第6番ヘ長調作品68「田園」だ。

賢治がのちに愛弟子の沢里武治に贈った、もう一組の「運命」はベートーヴェン没後100年の記念にポリドールから発売されたものである。いまも記念館に賢治の遺品として残るハンス・プフィツナー指揮する「田園」交響曲もこのときに出ている。この「運命」の指揮者は、録音した1926年当時まだ40歳で、戦後の1954年に68歳で亡くなったヴィルヘルム・フルトヴェングラーである。
横田庄一郎「チェロと宮沢賢治 ゴーシュ余聞」(音楽之友社)P185

宮沢賢治は、レコード蒐集家であり、当時、ベートーヴェンの全交響曲のレコードを所有していた。彼もあらえびすがいうベートーヴェンの「力」を感じていたのだろうが、中でもプフィッツナーの「田園」に惚れ込んでいたというのだから、この演奏に刷り込まれた慈悲の心がわかっていたのだろうと僕には思われる。僕には、プフィッツナーの振る「田園」交響曲に、賢治の遺作となった有名な詩「雨ニモマケズ」が自ずと被る。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

宮沢賢治の宗教観についてここで詳しく論じるつもりはない。しかし、彼には間違いなく大自然、生きとし生けるもの、先祖や父母、人生で出逢ったすべてに対しての感謝があり、それが自ずと信仰心となって顕れていたのだということがよくわかる。そして、彼のそういう良心こそがベートーヴェンの音楽に同期、共鳴したのだろうと思われてならない。そのことは、しつこいようだが、プフィッツナーの指揮する「田園」交響曲の古い録音を聴けば歴然だ。

ベートーヴェン:
・交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」(1930録音)
ハンス・プフィッツナー指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団
・交響曲第1番ハ長調作品21(1928録音)
ハンス・プフィッツナー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

例えばプフィッツナーを敬愛していたフルトヴェングラーは、ひょっとすると自身がベートーヴェンを振るとき、プフィッツナーの影響を多少なりとも受けていたのではないかとさえ思われる。フルトヴェングラー指揮する第1楽章は、「田園に到着の際、人間にわき起こる心地よい、陽気な気分」という標題とは裏腹の、おどろおどろしい雰囲気だが、そういうものをプフィッツナーも醸す。しかし、プフィッツナーの演奏はもっと優しい。もっと安寧があるのだ。そして、滔々と流れる小川を示す第2楽章「小川沿いの情景」も、まさにベートーヴェンが見た風景を、彼の心に映じられた風景を見事に描く。第3楽章「田園の人々の楽しい集い」は何と愉悦に満ちるのだろう。また、幾分抑制された第4楽章「雷鳴、嵐」から終楽章「牧人の歌—嵐の後の、快い、神への感謝と結びついた感情」はこの演奏の白眉だろう(ベートーヴェンの慈悲、プフィッツナーの信仰)。

プフィッツナーについてのお話、一方ならぬ関心をそそられました。たしかに、ドイツ文化に関するいっさいの事柄は、それについて語る気にもならないほど痛ましいかぎりですが、プフィッツナーと彼の芸術も、いつかまた日の目をみつことはあるでしょう。現在目の前にあるものはすべて瑣末な過渡的現象で、一顧の価値もありません。文字どおりに、凡庸なるものが一世を風靡してしまいましたが、決して長続きするはずのものではありません。
(1947年2月12日付、ヘルムート・グローエ宛)
フランク・ティース編/仙北谷晃一訳「フルトヴェングラーの手紙」(白水社)P182

プフィッツナーの芸術を推すフルトヴェングラーの言葉には確信がこもっている。このとき、最晩年のハンス・プフィッツナーは、とある養老院で惨めな生活を送っていた。結局、現在に至るまで彼の芸術はほとんど顧みられることはないものの、しかし、歌劇「パレストリーナ」などをじっくり聴くにつけ、いかに彼の音楽が素晴らしいものであるかをあらためて認識する。もちろん彼の指揮もそうだ。

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