ボストリッジ&アンスネスのシューベルト「冬の旅」(2004.5録音)を聴いて思ふ

schubert_winterreise_bostridge_andsnes囁くように愛情込めて歌うその様に、この人の温かさを思う。
悲哀の情が吹っ飛ぶイアン・ボストリッジの「冬の旅」。彼はさすらい人の孤独をむしろ楽しんでいるかのよう。
もちろんそれは技術的なところにもよるのだろうが、そもそも彼の声質のせいか、実に明朗で清楚、その上情感豊かな色合いを持つのだから聴く側は思わずこの物語の主人公に同調してしまう。
ここにあるのは絶望ではなく、あくまで希望。だからこそボストリッジの歌は余計に真実味を帯びるのだ。

昨日、「戦争レクイエム」で歌うボストリッジを観て思った。
長身の痩躯から繰り出される音楽の持つ底力。その凛としながらも圧倒的なパワー。そして、類稀な情動。

第1曲「おやすみ」に通底する自身の不甲斐なさを映す怒り。怒号をあげるような一瞬の叫びの表情にボストリッジの天才を思う。
また、第6曲「溢れる涙」におけるアンスネスのピアノ伴奏の哀しみ、またボストリッジの激しい歌唱の背面に聴こえる慟哭。この感情の振れにひれ伏す想い。
あるいは、第10曲「休息」にあるピアノとテノール独唱の完全な同期は、さすらい人が自身の身上を悟る瞬間であり、ここには永遠の安らぎが存在するよう。

・シューベルト:歌曲集「冬の旅」D911
イアン・ボストリッジ(テノール)
レイフ・オヴェ・アンスネス(ピアノ)(2004.5録音)

次なる第11曲「春の夢」に聴く、夢と現実の描写の巧みさはボストリッジの真骨頂。ここでの前向きな情熱とエネルギーこそさすらい人の心の投影。

さすらい人は本当に自死を目指すのか?
第20曲「道標」を経て、第21曲「宿屋」で語られる死者との邂逅のあまりの透明感と確信に満ちた肯定感。さらに、第22曲「勇気」での堂々たる歌唱。どこをどう切り取ってもこの作品には生の覇気が満ちる。

第23曲「幻の太陽」での虚ろなピアノに乗るボストリッジの歌のあまりの実存感に感動し、いよいよラスト・ナンバー「辻音楽師」の安寧。歌い手は決して諦念を示さない。軽やかに踊るアンスネスのピアノの上を颯爽と、何事もなかったかの如くボストリッジは自らを解放し、語り歌うのだ。特に、音を強調する際の熱量に聴く者は金縛りに遭う。

 

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2 COMMENTS

雅之

ボストリッジの「冬の旅」はいいですよね。映像付きのDVD版も好きです。でも、今の私には神経質過ぎて疲れる気もします。

それと、「冬の旅」より「白鳥の歌」のほうが好きという個人的な想いは昔から変わりません。

前回お会いした時にもちょっとだけそのことに触れましたが、より人気がある「ロング・バケイション」より「イーチ・タイム」のほうが心に沁みるという感想と似ています。未完成なところも・・・。

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岡本 浩和

>雅之様
「ロンバケ」と「イーチタイム」の比較と相似ですね。
僕もどちらかというと「イーチタイム」派なので、おっしゃりたいこと痛いほどわかります。
僕は「未完成」フェチではありませんが・・・(笑)

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