ノーマン カラヤン指揮ウィーン・フィル ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲とイゾルデの愛の死ほか(1987.8.15Live)

リヒャルト・ワーグナーの著作はいずれも含蓄に富む。

序曲についてのこのような至高の理念が『エグモント』序曲以上に美しく現れている例を私は知らない。この序曲の終結部はドラマの悲劇的理念をその尊厳のきわみまで高め、と同時に恐るべき威力をもった完全な音楽作品を私たちに提示する。これに対し、今示したばかりの見解に完全に矛盾すると見える、きわめて含蓄に富んだ例外的な作品を私はただ一つ知っている。『コリオラン』序曲である。しかし、この堂々たる悲劇作品をより仔細に観察してみるなら、悲劇という主題の把握にちがいがあったことは次のようにして説明がつく。つまり悲劇の理念はこの曲では、まったく主人公の個人的運命に含まれているのである。主人公コリオレイナスの他人と相容れない自負心、すべてを凌駕する、その尊大で強圧的な性格は、それがくずおれないかぎり、私たちの関心、同情をそそらない。この破滅を不安とともに私たちに予感させ、最後にそれが現実に恐怖を伴なって現れる様を描きあげたのは、子の巨匠の比類ない手柄である。
「序曲について」(1841)
三光長治監修「ワーグナー著作集1 ドイツのオペラ」(第三文明社)P55

その分析的思考、360度視野の見解、斬新な切口はリヒャルトならではの視点だろう。
彼が最終的に示唆するのは、序曲に変わる方法、すなわち「レオノーレ」序曲を示唆しつつ、新しい楽劇の理念の一部をなす「前奏曲」という形式だった。
その最初の例が「ローエングリン」であったわけだ。しかし、逆に考えるなら、ベートーヴェンの衣鉢を継いだ序曲の最終形は、少なくともワーグナーにとっての最終形は「タンホイザー」序曲だった。

カラヤン最晩年の「タンホイザー」序曲が素晴らしい。
歌劇中の主要なテーマによって織り成される序曲の含まれる根源的な力に僕は感化される。
そこにあるのはあくまでカラヤンの音だ。磨かれ抜かれた美しい音楽は、女性的な側面が前面に押し出された名演奏だった。

そして、輪郭明晰な「ジークフリート牧歌」の流れるような美しさはカラヤンの真骨頂。ほとんど映画音楽のようなポピュラーな音作りに感心する。

ワーグナー:
・歌劇「タンホイザー」序曲
・ジークフリート牧歌
・楽劇「トリスタンとイゾルデ」第1幕前奏曲
・楽劇「トリスタンとイゾルデ」第3幕イゾルデの愛の死
ジェシー・ノーマン(ソプラノ)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1987.8.15Live)

ザルツブルクは祝祭大劇場でのライヴ録音。
期待したノーマンによる「イゾルデの愛の死」は、あまりにノーマンの癖(?)が反映され過ぎていて個人的には避けたいところ。しかし、第1幕前奏曲についてはカラヤンらしい錬磨された情念のうねりが炸裂し、濃厚な音楽が堪能できる。


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