フィッシャー=ディースカウ バーンスタイン マーラー リュッケルト歌曲集ほか(1968.11録音)

きのう、最愛の夫が歌曲をひとつ歌ってくれた。それは、数日まえに彼が私の楽譜「ジークフリート」のピアノ用楽譜のなかに入れておいたものであった。私がその歌劇をピアノで弾くとき、その歌曲を自分で発見するだろうと、彼は望んでいたのだった。それは彼のつくった最初の愛の歌であった。「おまえによせた内々の訓戒だ」、と彼はいった。それはリュッケルトの詩「なれは愛す、美をもとめて」である。最後の歌曲「われを愛したまえ、永久に」は真心のこもったもので、ずっとのちの今日でさえそれを目にすると、私は感動にうちひしがれてしまうのだ。彼の測り知れぬ豊かさにくらべて、なんと私はみじめなのだろう、私はときおりそう感じている。
(1902年8月)
アルマ・マーラー=ウェルフェル/塚越敏・宮下啓三訳「わが愛の遍歴」(筑摩書房)P26

アルマの手記には、グスタフ・マーラーの「関白宣言」(劣等感の顕現)ともいうべき「訓戒」が、彼女への愛の歌として生み出されたものだと証言されている(事の真偽は不明だが)。

レナード・バーンスタインがピアノ伴奏を務めた、フィッシャー=ディースカウによる録音には、残念ながら、マーラーがアルマに歌ってきかせた第5曲「美しさゆえに愛するのなら」が欠落している。たとえそれでも、彼らの「リュッケルトの詩による歌曲集」は見事な出来だ(第3曲「私はこの世から姿を消した」が絶美!!)。全盛期のフィッシャー=ディースカウのふくよかで知性満ちる歌唱はもちろんのこと、バーンスタインのニュアンス豊かな(作曲家であるがゆえの心情を上手くとらえ音化した)ピアノの勝利とも言うべきか。すべてが一体となって、グスタフ・マーラーの心情を完璧に表現しているのである。
そして、「若き日の歌」の、声質を縦横に操り、詩の心を詩人以上に巧みに歌い切るフィッシャー=ディースカウの魔法(例えば、「腹立たしげな調子で」と指定される第14曲「うぬぼれ」における余裕の歌唱!!)。

マーラー:リュッケルトの詩による4つの歌曲(1968.11.6録音)
・第2曲「私はほのかな香りを吸い込む」
・第1曲「私の歌を覗き見しないで」
・第3曲「私はこの世から姿を消した」
・第4曲「真夜中に」
マーラー:若き日の歌(1968.11.5&6録音)
・第13曲「もう会えない!」
・第4曲「ドン・ファンのセレナード」
・第10曲「シュトラスブルクのとりで」
・第12曲「別離と忌避」
・第14曲「うぬぼれ」
・第6曲「いたずらな子をしつけるために」
・第11曲「夏に小鳥はかわり」
・第5曲「ドン・ファンの幻想」
・第2曲「思い出」
・第7曲「緑の森を楽しく歩いた」
・第1曲「春の朝」
マーラー:さすらう若人の歌(1968.11.4録音)
・第1曲「彼女の婚礼の日は」
・第2曲「朝の野辺を歩けば」
・第3曲「私は燃えるような短剣をもって」
・第4曲「2つの青い目が」
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
レナード・バーンスタイン(ピアノ)

52年前のちょうど今頃、ニューヨークは30番街のスタジオにてこの録音が行なわれていた。まるでたった今目の前で奏でられるかのように、バーンスタインのピアノは煌びやかで生々しい。

フィッシャー=ディースカウの「さすらう若人の歌」は、フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管弦楽団と録音したEMI盤が必携盤だが、続いてバーンスタインとのピアノ伴奏によるこの録音が心に響く。あの当時よりも一層歌唱に磨きがかかり、壮年期の余裕と、変幻自在に表情が移ろうその力量が素晴らしい。何より音楽の明朗さと哀感の同居を見事に描き切る様に感動(バーンスタインのピアノ演奏は奔放でまた自在で、歌手の能力を最大限に引き出すエネルギーを持つ)。

人気ブログランキング


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む