朝比奈隆指揮大阪フィル ブルックナー 交響曲第7番(1992.9Live)

だがヴィーン市民は、この「孤独な野人」に好意を抱いていた。彼らがブルックナーの名を聞いて真っ先に連想するのは、ベートーヴェンやシューベルトと同じように、「不幸な芸術家」あるいは「芸術家の不幸」である。この老人が亡くなった時、「ヴィーン・アルゲマイネ新聞」は次のような追悼記事を載せた。
「彼は年老いても幼子そのままだった。その感情は素朴であり、思考は曇りなく率直であり、心は善良で信仰深く、人となりは飾り気がなく、その願望は清純だった」

田代櫂「アントン・ブルックナー 魂の山嶺」(春秋社)iv-v

無心、無我、無為と言いたいところだが、この老巨匠には、最晩年まで結婚願望があったというのだから、一方、俗人でもあった。いわば聖俗の絶妙な混交体こそがアントン・ブルックナーなのである。

・ブルックナー:交響曲第7番ホ長調(ハース版)
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団(1992.9Live)

初めて聴いたとき、その鮮烈さと意外な軽快さに老巨匠の棒の進化を思った。同時期にサントリーホールで聴いた新日本フィルハーモニー交響楽団との実演とも異なる解釈に僕は度肝を抜かれた。朝比奈御大十八番がいかにも動的に、しかし堂々と響く様に僕はとても感動した。幾度も聴いた実演を(ある意味)上回る神の業。満を持して再び録音したツィクルスの劈頭を飾る録音に当時僕は新たな息吹を感じたのである。

ブルックナーの作品について、ブラームスはこう予言した。「少なくともそれは今までのところ、作品というより一種のまやかしであり、1,2年のうちには忘れ去られてしまうだろう」と。だがブルックナーの作品は消え失せなかった。私たちはあの得体のしれない音楽を、絶えず発見し続け、心に欠かせない栄養素のように、絶えず聴き続けてきた。いったいそれは何故なのだろう?
~同上書ix

忘れ去られるどころか、最も人気のある交響曲作家のひとりに君臨したのは、すべて朝比奈御大のお蔭であろう。少なくとも僕たち日本人にあって、ブルックナー受容の扉を開けたのはまさしく御大その人であったゆえ。朝比奈隆のブルックナーの録音は、どれもが空前であり、また絶後の傑作だと僕は断言する。そこには無垢の、清純なブルックナーがある。そして、それを耳にし、悦に浸る僕たちには間違いなく信仰がある。

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