朝比奈隆指揮東京都響 ワーグナー 「パルジファル」第1幕前奏曲、聖金曜日の奇蹟(1993.9.10Live)ほか

後天の性格、性質の大半は環境、特に父母によるものだ。

ブルックナーの父と母の性格については、あまり多くのことは知られておらず、伝記作家ヴェルナー・ヴォルフがわずかにこう書いている。
「ブルックナーの両親は、まったく異なった性格だった。母親はしばしば気分屋で、子供たちの扱いも手荒だった。父親は人が良く、多忙な教師稼業の中で、たまさか恵まれる休みには、家でくつろぐのを好んだ」
たったこれだけの記述だが、その人となりは推測できる。父親は貧しいながら安定した環境で成長し、鷹揚な性格を身につけたと思われる。一方母親は、富裕な家庭に生まれながら、早くから窮屈な環境に身を置き、屈折した性格を育んだのだろう。

田代櫂「アントン・ブルックナー 魂の山嶺」(春秋社)P13

陰陽二気の世界にあって夫婦の関係は無論対極にある。恩・怨・仇、いずれかの関係の中で男と女が姿かたちを変え、時空を超え、心の器を拡げんと幾度も出逢うのである。その、両極端の中で育った子は、当然双方の性格を受け継ぎ、才能を開花させる。
アントン・ブルックナー然り(リヒャルト・ワーグナーも同様)。

僕はどういうわけか、朝比奈隆の「聖金曜日の奇蹟」を思った。
晩年の朝比奈の、悠久の時間の流れを思わせる、至高の瞬間の記録とでもいうのか、幾度も触れているこの録音の、まるで時間が止まってしまったかのような崇高さをつい思い出した。

92年頃、ブルックナーはヴィーン・フィルのコンサートで、マグダ・プライプシュという少女に出会う。当時17歳だったマグダによれば、その夜のプログラムはブルックナーとベートーヴェンの交響曲、そしてヴァーグナーの「聖金曜日の奇跡」だった。開演時間に遅れてやって来ると、オーケストラはすでにチューニングを始めており、聴衆は物珍しげに彼女を見やった。マグダは自分の席を見付ける余裕もなく、前方の隅に座っている質素な身なりの老人に目を止めた。

「このお年寄りの側に座ろう。そうすれば大丈夫だ」私はそう考えてそちらに歩いて行き、彼の後ろの席に座った。彼は驚いたように私を振り返り、こう訊ねた。「どうしてここへ?」「ここが私の席でないことは分かっています。遅れてしまって。でもじきにどきますから。きっとすぐに私の席が見つかりますわ」すると彼はさかんに異議を唱えた。「まあ、まあ、まあ、ここにおいでなさい。私はちっとも構いません。もうじき始まりますよ」すると本当にコンサートが始まった。私はこの奇妙な状況も、このご老人のことも、周囲の黒い燕尾服のことも、みんな忘れて音楽に没頭した。最初の楽章が終わった時、ご老人はまた私を振り返り、「お気に召しましたか?」と訊ねた。私はまだうっとりしたまま「ほんとに素晴らしいですこと、ブルックナーですもの」と答えた。すると彼は自分を指さしてこう言った。「そりゃ私のことですて」私は言葉を失った。漠然と思い描いていたブルックナーと違って、彼は畏敬の念を抱かせるどころか、むしろ変てこなお年寄りだった。その人がこの素晴らしい音楽作品の創造者だなんて、私には腑に落ちなかった。
~同上書P287-288

それはたぶん交響曲第7番ホ長調のことだろう。一方、ベートーヴェンの交響曲が何番だったのか、それはわからない。その上で、「パルジファル」の「聖金曜日」とは!!

・シューベルト:交響曲第8番ロ短調D759「未完成」(1995.1.22Live)
・ワーグナー:舞台神聖祭典劇「パルジファル」~第1幕前奏曲と聖金曜日の奇蹟(1993.9.10Live)
朝比奈隆指揮東京都交響楽団

透明な、堂々たる、重心の低い崇高なる「聖金曜日の奇蹟」は、晩年の、脂の乗った時期の御大によるものだと明確にわかる名演奏。先天と直結せんと奇蹟を起こすシーンがあまりに美しい。

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