「もし『彼』のために死ねないのなら、おお神よ、『彼と共に』死なせて下さい。友よ、こんな風に私はいつも熱心に祈っているのですよ。それでもこうして死ぬのが恐いのかと尋ねるのですか?」
この時船乗りの一人が帆を引き寄せながら私たちにこう言った。風向きが変わり、雨がますますひどくなっているから、嵐が治まるのはほぼ確実です。
フランツは私に言った。
「僕のそばに座って下さい。あの美しい預言者の言葉を少し読んでみましょう。神の霊が預言者の中で悪人の滅亡と正しき人の希望を歌った所をね。」
~マリー・ダグー著/近藤朱蔵訳「巡礼の年 リストと旅した伯爵夫人の日記」(青山ライフ出版)P57-58
リストと共にスイスで巡礼の旅をするマリー・ダグー伯爵夫人の日記は、赤裸々であり、また一方、実に高尚な匂いが漂う。すべてが彼女の本心だろうが、女性の純愛こそがすべてを救うとするのは、当時の男性の共通の憧憬だったのだろうか。
その頃、後にリストの娘婿となるリヒャルト・ワーグナーは、ヴュルツブルクで「妖精」なるオペラの台本を書き、音楽を付すことを思いついていた。
ゴッツィの童話によって、私は自分で〈妖精〉の台本を書いた。その頃流行していたウェーバーや、私の滞在地ライプツィヒでは特にその頃台頭してきたマルシュナーなどの、〈ロマン的〉歌劇を模倣することにした。私が作り上げたものは、オペラの台本にすぎなかった。・・・ゴッツィの童話(〈蛇女〉Donna Serpente)がオペラ台本に適切であることを発見したばかりでなく、素材そのものが私を非常に魅惑した。一人の妖精が、彼女の愛する男を所有する代償として、自己の不死性を失う。ただ過酷な試練を克服することができれば、不死性を取り戻せる。そのためには、彼女の恋人である人間の男もつらい試練を受けねばならない。すなわち、妖精が男にどんなに冷酷に当たろうと、彼女への信頼を失ってはならないのである。男はこの試験に合格しなかった。ゴッツィの童話では、そのため妖精は蛇となってしまう。しかし後悔した恋人がその蛇に接吻をあたえることにより、彼女にかけられた魔法をとき、結婚する。私はこの結末を変え、石に化した妖精が恋人の恋慕の歌によって魔法をとかれることにし、さらに妖精王によって人間国にとどまることを許されるのではなく、彼女とともに、妖精国の不死の喜びの中に迎え入れられるようにした。
「わが友人たちへの報告」
~渡辺護「新版リヒャルト・ワーグナーの芸術」(音楽之友社)P151-152
ワーグナー自身の「妖精」誕生についての報告を見ると、すでに19歳のときに愛による救済が主題として認識されていたことが窺える。恋人であろうと生死を共にはできない現実を、何とか超えられないかという男の願望が垣間見られる台本に、愛と死がやはり一体に語られるべきものだったことがわかる。
歌劇「妖精」を聴くにつけ、序曲からしてまるでメンデルスゾーンそのものだ。ワーグナーが後年批判的に見たこのユダヤ人作曲家の影響を、間違いなく彼は受けている。
オペラの構成、流れは、本人の弁にもある通りほとんどウェーバーの模倣のようでもある。
それゆえかバイロイトを含めほぼ顧みられることのない初期歌劇のひとつが、我らが読響常任指揮者のセバスティアン・ヴァイグレによって果敢に、しかもドイツ正統派重厚な解釈によって再生される様子にそもそも感激する。特に、ワーグナー自身が自信をもって効果的だと称した第2幕後半のアンサンブルは、ヴァイグレによってまさに劇的に歌われるのだ。
人間の男と妖精の女から
私は生れたので、母と同様、不死身なのです。
そして私はあなたに遭いました。偽誓者であるあなたに
私は熱い愛の全てを捧げました!
その愛はとても大きく、あなたのものになるために、
喜んで不死身性を諦めました!
妖精の王は、そのことで私を恨みました。
王は私の決心を阻止することができなかったので、
次のような条件を私に課すことによって、
私の決心を困難なものにしようとしました。
すなわち8年間、私の正体を明かさないこと、
そして最後の日に、
たくさんの苦悩や恐怖をあなたに負わせることでした、
あなたを唆して私を呪うように!
あなたの心が愛ゆえに揺るぎない時にのみ、
私は死すべき運命を得ることができるのです。
~井形ちづる訳「ヴァーグナー オペラ・楽劇全作品対訳集1―《妖精》から《パルジファル》まで―」(水曜社)P41
妖精アーダの告白の重みは、確かにそこに求める心が存するように思われる。しかし、そういう条件付けをワーグナーはある意味好み、そこに付した音楽の力強さは他を圧倒する。しかしながら、音楽的には長尺に過ぎ、聴く者の弛緩は免れない。