フィッシャー=ディースカウ ゼーフリート ベーム指揮ベルリン放送響 ヘンデル 歌劇「ジューリオ・チェーザレ」(抜粋)(1960.4録音)

フィッシャー=ディースカウは、ベームとのリハーサルでは常に張りつめた空気が漂っていたものの、ベームは時がたつにつれより親しみやすくなったと語っている。そのような変化が起こったのは1950年代末、ベームが歌劇場の責任者という立場から離れた後である。
~リチャード・オズボーン「すべては時の流れと共に」

カール・ベームの指揮するオペラはいずれも逸品だ。音楽に常時緊張感があり、しかも、流れが堅牢に偏らず、臨機応変の柔らかさを獲得している。それは、上記、フィッシャー=ディースカウの言葉通り、1960年代以降顕著だろう。

静かで理知的なフィッシャー=ディースカウがいつになく発奮する。
気合いの入った歌唱は、ゼ―フリートとの二重唱において一層激するところが興味深い。一方の、ゼ―フリートの柔和な佇まいは、言語を絶する美しさ。

ローマ将軍チェーザレ(カエサル)とエジプト女王クレオパトラの愛を軸に、権力と愛憎に溢れる美しいバロック・オペラを、重厚な現代オーケストラによって再生するカール・ベームの業。本来カストラートによって演じられるチェーザレ(カエサル)をディースカウのバリトンが高らかに、そして意味深く歌う様が見事だ。

ヘンデル:歌劇「ジューリオ・チェーザレ」HWV17(抜粋)
・第1幕チェーザレのアリア「さあ、エジプトの大地よ」
・第2幕クレオパトラのアリア「瞳よ、愛の矢よ!」
・第1幕クレオパトラのアリア「愛すべき希望よ」
・第1幕チェーザレのアリア「抜け目のない狩人は」
・第2幕クレオパトラのレチタティーヴォ「何てこと? おお神よ」
・第2幕クレオパトラのアリア「正しき天よ 私を哀れんでくださらなければ」
・第3幕チェーザレのレチタティーヴォ「幸運に恵まれ」
・第3幕チェーザレのアリア「山を下る激流は」
・第3幕クレオパトラのアリア「私はわが運命を嘆くでしょう」
・第1幕チェーザレのアリア「野の花もこんなに美しく綺麗ではない」
・第3幕クレオパトラとチェーザレの二重唱「愛する人! 美しい人! あなたの顔よりも」
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(チェーザレ、バリトン)
イルムガルト・ゼーフリート(クレオパトラ、ソプラノ)
カール・ベーム指揮ベルリン放送交響楽団(1960.4録音)

ベルリンはイエス・キリスト教会でのセッション録音。ディースカウもゼ―フリートも自由自在に逍遥する。ヘンデルの音楽は実に開放的で、すべてを大きく包み込む明朗さに満ちる。いずれの独唱も二重唱もこの「楽天」の中で奏された、実に華麗な傑作。思わず幾度も繰り返し聴いたくらい。

ヘンデルの王室からの固定収入は、アン女王以来の年金200ポンドに加えて、合計600ポンドとなる。7月に、ヘンデルはブルック街のテラスハウスに独立した居を構え、活動の地盤を固めた。
勢いを得たヘンデルは、《ジューリオ・チェーザレ》、《タメルラーノ》、《ロゼリンダ》というグランド・オペラを次々に披露し、王立音楽アカデミー時代の頂点を築く。オペラの必要条件と言われる力強い筋運び、緊張した劇的状況、説得力ある人物描写の3点において群を抜いているハイムの台本が、ヘンデルの創作意欲を掻き立てたと考えられる。《ジューリオ・チェーザレ》(1724年2月20日初演)では、クッツォーニを、悲劇のヒロインの生娘役から妖艶な誘惑者クレオパトラへと変身させ、異国情緒にあふれた「オペラの奇跡」を作り上げた。

山田由美子著「原初バブルと《メサイア》伝説―ヘンデルと幻の黄金時代」(世界思想社)P201

ヘンデル絶頂期の傑作を、抜粋ながら(少々古臭い?)現代オーケストラで聴くのも乙なもの。

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