ワルター指揮コロンビア響 モーツァルト 交響曲第36番「リンツ」(リハーサル付)(1955.4録音)

こんなに素晴らしい、堂に入った「リンツ」交響曲は聴いたことがなかった。もちろん今も他には聴いたことがない。「パフォーマンスの誕生」と題する、ブルーノ・ワルターのリハーサルが延々、90分以上も収められたアルバムは、僕の宝物だった。

ワルターのリハーサルは、余計な言葉を排除した、モーツァルトの楽譜そのものだけを頼りに、他を圧倒する音楽を創造するものだ。このリハーサルを聴けるだけでも幸せ。
第1楽章序奏アダージョのほの暗い魔性と、主部アレグロ・スピリトーソの闇から光へと解放されるような一瞬のひらめきが、この録音ほど明確に語られる、表現される演奏はないだろう。この、暗から明に転ずるモーツァルトの天才を、他のどこかで聴いたはずだと僕は思った。それは、他でもない、後の歌劇「ドン・ジョヴァンニ」K.527の序曲だ。

1954年秋、改築したウィーン国立歌劇場を、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」で開幕してほしいという依頼が、カール・ベームからワルターにあったこと、そして、ワルターは、オペラがすでに自分の手から離れてしまっているという芸術的根拠のためその依頼を固辞した経緯があったのだが、まさにそれはこの「リンツ」交響曲が録音される数ヶ月前のことだった。ベーム宛の手紙でワルターは次のように書いている。

しかし、かような作品が問題となる場合でも、私の良心からすれば、他の指揮者が下稽古をつけた上演を受け継ぐことはできますまい、あなたのような秀でた音楽家の手で、銀の皿に盛られて差し出されようともです。まさかあなたに申し上げる必要もないのですが、上演の有機的統一と芸術的効果とは、個々の点に準備が行きとどいて限りなく充実していることによるので、どんな細目でも指揮者と共演者との間の徹底的な合意を証明していなければなりません。私をして言わしめれば、オペラを自演しました節には、自ら下準備に徹底をきわめるほかすべはなく、むろん作業は舞台上のすべてにもおよびました。としますと、今度のような祝典の機会に、その立場を変えてよいわけがありましょうか?
ただ望みえますれば、方便として私の指揮による演奏会でご海容願いたいのです。

(1954年9月28日付、カール・ベーム宛)
ロッテ・ワルター・リント編/土田修代訳「ブルーノ・ワルターの手紙」(白水社)P330

果たして方便としてのワルターの演奏会が開催されたのかどうなのか、僕は勉強不足で知らない。しかし、翌年4月に録音されたこの「リンツ」交響曲こそが、このワルターの言を現実化する、実に「ドン・ジョヴァンニ」の魔性にも勝るとも劣らぬ神秘を顕わにした演奏だったことは、リハーサルはもちろん、セッション録音を具に聴けば理解できるだろう。何というアレグロ・スピリトーソ!!!そして、一層重要なのは、第2楽章アンダンテ!モーツァルトに珍しく、緩徐楽章にトランペットとティンパニが用いられる音楽を、これほど遅く、重厚に意味深く響かせた例が他にあろうか。

モーツァルト:
・交響曲第36番ハ長調K.425「リンツ」
・パフォーマンスの誕生~「リンツ」交響曲リハーサル
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団(1955.4.26&28録音)

モーツァルトの音楽に酔う(メロディを口ずさむ)ワルターの色香。そして、老巨匠の指示を見事に音化して行くオーケストラの醍醐味。正面に置かれた1本のマイクでダイレクトに録られたワルターの慈しみの声が心に沁みる。特に第2楽章アンダンテは本番を凌ぐ遅さで、音符の一つ一つを噛み締めるように進行していく様子が本当に美しい。
続く、躍動する第3楽章メヌエットも、随分重いが、しかし、内から湧き立つ喜びの様はやはり他を圧倒する(楽器への歌い方と強弱の細かい指示!リハーサルを聴きたまえ!)。さらに、終楽章プレストの生命力!とにかく弦楽器や管楽器、打楽器の(モノラルとは思えない)生々しい音に、これが60数年前の録音だとは思えないことが魅力。

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