ワルター指揮ニューヨーク・フィル モーツァルト 交響曲第40番K.550(1953.2.23録音)ほか

すべての事象を慈しみで包み込もうとするワルターの心の器の大きさよ。
ディミトリ・ミトロプーロスが病に倒れたとき、彼は次のような書簡を宛てている。

同業の友として申し上げたいのです、情熱的なお仕事ぶりと生き方によって、どうやら自ら招かれたらしい重大な試練(心筋梗塞で重態)にあるあなたに、どれほど同情申し上げていることか。しかし同時に申し添えたいのは、とてもひどいと見受けられる今度の出来事も、実に隠された祝福だという確信であります。グスタフ・マーラーは常々主張していました、「われわれのような者は、健康になろうと思えば、病気にならねばならぬ」と。あなたの場合にもたしかに当てはまることで、この体験により得られる新しい智慧は、取り戻された健康を保つにも、疑いなく役だちましょう。
(1952年12月22日付、ドィミトリ・ミトロプロス宛)
ロッテ・ワルター・リント編/土田修代訳「ブルーノ・ワルターの手紙」(白水社)P321

禍を福と転じるのは、自身の心だ。あらゆる苦難を乗り越えてきた晩年のブルーノ・ワルターらしい永遠の祝福。人は困難によって学び、苦難によって成長するのである。

そんなワルターがニューヨーク・フィルと録音したモーツァルトは、現代オーケストラの厚みを最大限に活用した、濃厚な表現を売りとする。それによって今では多少古びた印象を与えなくもないが、ワルターの心底から湧き出るモーツァルトへの永遠の愛情と、それを享受する聴衆への慈愛が至るところに滲み出て、実に美しく、40年来僕の脳裡から決して離れない。

モーツァルト:
・交響曲第40番ト短調K.550(1953.2.23録音)
・交響曲第35番ニ長調K.385「ハフナー」(1953.1.16録音)
ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィルハーモニック

不要なものをとことん削ぎ落し(強いて言うならモーツァルトの浪漫を残すのみか)、モーツァルトの真実の慟哭を音化する見事なト短調交響曲。第1楽章モルト・アレグロからどこをどう切り取ってもワルターの愛に包まれる。最美の第2楽章アンダンテに恋をし、空ろな第3楽章メヌエットに心弾け、そして、ついに終楽章アレグロ・アッサイで熱風の如き嵐に翻弄されるも、その中に埋もれ、喜びを感じずにおれない僕を発見するのだ。嗚呼。
そして、久しぶりに真面に聴いた「ハフナー」交響曲の典雅な装いに僕は唸った。勢い増す第1楽章アレグロ・コン・スピーリト、また、大らかに歌う第2楽章アンダンテの美しさ。

世界史的な活動はどれほど重要な人間によるものでも、やはり時間に隷属している。それに比べて、創造的精神の作品はいつまでも消えないのである。ナポレオンは死んだ—だがベートーヴェンは生きている。
内垣啓一・渡辺健訳「主題と変奏—ブルーノ・ワルター回想録」(白水社)P10

かつてワルターはそう書いた。
ワルターの言葉は、そのまま彼自身が残した録音にも当てはまる。
ブルーノ・ワルターは生きている。

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