ヴェーグ指揮カメラータ・アカデミカ・ザルツブルク モーツァルト 交響曲第38番K.504「プラハ」(1996.8.11Live)ほか

ザルツブルク音楽祭での生気溢れる演奏に、あと5ヶ月足らずでこの人が亡くなることを会場に居合わせた聴衆は予想したのかどうなのか。コンサートの様子を垣間見ることができないので指揮者の様子や状態はわからない。それにしてもこれだけ躍動感伝わる音楽があろうか。

《フィガロ》の序曲が終わると、観客一同は平土間席のモーツァルトに拍手喝采を送り、歓迎の意を表した。
(その翌々日)同じく国立劇場で、「器楽曲の真の傑作」である《プラハ交響曲》が演奏された。
そのあと、みんなの要望により彼がピアノフォルテに向かい、30分以上も即興演奏を行った。その神技のような演奏に、満員の聴衆たちがこれほど恍惚としたことはなかった。非凡な作品、非凡な演奏のどちらにより感嘆すべきか、私たちにはわからなかった。その両者が一体となって、私たちの魂を感動させ、甘美な魔術にかかったようだった! 激しい拍手の嵐に応えて、モーツァルトは聴衆に挨拶した。
すると、突然、平土間から大きな声がかかった。「《フィガロ》から何か弾いて!」
そこでモーツァルトは〈もう飛べないぞ、恋の蝶々〉を主題に12曲の変奏曲を即興演奏し、聴衆の熱狂に応えた。
この音楽会がプラハの人たちにとって類い稀なものだったと同様、モーツァルトにとって生涯の最も美しい日となったのだった。

(フランツ・クサーヴァー・ニーメチェク「モーツァルト伝」)
高橋英郎著「モーツァルトの手紙」(小学館)P363-364

人生の絶頂期にあった幸福感。一度の演奏会で今の貨幣価値にして250万円ほどの収益があったというのだからモーツァルトの高揚はどれほどだったことだろう。

モーツァルト:
・交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」(1996.8.11Live)
・交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」(1992.8.15Live)
シャーンドル・ヴェーグ指揮カメラータ・アカデミカ・ザルツブルク

「プラハ」はフェストシュピールハウス、「ジュピター」はモーツァルテウムでの実況録音。
ヴェーグの指揮は、アタック鋭く、直截的だ。徐に開始される「ジュピター」交響曲第1楽章アレグロ・ヴィヴァーチェの雄渾さ。提示部反復時の、主題をより弱く、ニュアンス豊かに奏でさせる方法に、ヴェーグのモーツァルトへの格別なる愛情を思う。
それにしても「プラハ」交響曲の深い呼吸を伴う大らかな生命力に僕は固唾を飲む。幾分暗めの第1楽章序奏アダージョから変転、主部アレグロでの神々しさは、文字通り老練の棒より発せられた神がかり的業。また、第2楽章アンダンテの底なしの憂愁。あるいは、終楽章プレストの喜びの爆発!聴衆の喝采が素晴らしい。
ヴェーグはモーツァルトと戯れている。そして、モーツァルトを楽しんでいるのだ。

夏が足早に過ぎていくこの頃、思い出すのは、1997年、欧州旅行途次のザルツブルク音楽祭。この時すでにシャーンドル・ヴェーグはこの世にいない。時間を大切にすることは命を大切にするということ。

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