バーンスタイン指揮ウィーン・フィル ブルックナー 交響曲第9番(1990.3Live)

レナード・バーンスタインが死の年に、ウィーン・フィルとライヴ録音したブルックナーの交響曲第9番ニ短調。この、神に捧げられし不朽のトルソー交響曲が、これほど人間臭く再現されたケースが他にあるのかどうなのか、少なくとも僕は、これほどに粘る、分厚い響きの、ある意味生命力溢れるブルックナーを、これまでも今も聴いたことがない。
初めて聴いたときは、正直拒絶反応しか覚えなかったものが、30年を経過して、なるほどこれはこれで面白いと思えるのだから、人間の感覚、というか感性の器というのは本当に面白い。

ブルックナーに限らず、モーツァルトだって、ベートーヴェンだって、真の天才の残した作品は、縦横の解釈を受け容れる余地があり、どんな演奏だろうと相応に感動させるだけの力とエネルギーをもつのだとあらためて思った次第。

特に、大自然の中で、そして静寂の夜半に、トーンを極力絞って独り耳にするブルックナーは格別。今日という日に実に相応しいブルックナー音楽こそ交響曲第9番であり、それを体現するのが他でもないバーンスタイン最晩年の名演奏(迷演奏?)なのである。

・ブルックナー:交響曲第9番ニ短調(ノヴァーク版)
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1990.3Live)

このジャケットのバーンスタインの、誰もいないステージでたった独り佇む「孤高の姿」に、そして何だか悲しげな苦悩を湛えた表情に、彼が歩んできた人生の山と谷を僕は想像した。それはまさにバーンスタインが最後の年についに表現し得た、真のブルックナーの姿であり、野人ブルックナーを超えるものだった。崇高な(?)、粘着質の第3楽章アダージョが、いつまでも終わろうとしない緩徐楽章が、何と美しく心に染み入ることだろう。この楽章だけでも永遠に後世に残すべきだと考え、今僕はあらためてこの音盤をとり上げ、筆を執る。

人間的な、あまりに人間的な俗人ブルックナーの本懐。
神に捧げたというのは、死を目前にした作曲家の「諦め」に通じるむしろ方便に過ぎないのだと今僕は思う。

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