カラヤン指揮ウィーン・フィル ブルックナー 交響曲第7番(1989.4Live)

精緻で透明なブルックナー。
機械仕掛けの(?)ブルックナーかと思いきや(想像したが)さにあらず。
死の10ヶ月前、1990年2月にウィーン・フィルと来日予定だった老巨匠は、コンサートでこの作品を取り上げる予定だったという。

リヒャルト・ワーグナー追悼のために急遽追加された第2楽章アダージョのコーダは、カラヤン自身への鎮魂曲だったのかどうなのか。いや、しかし、これほど生き生きとした、明朗なブルックナーが他にあろうか。

やはり、よく言われることですが、音楽の流れが絶対に切れないということでしょうか?カラヤンさんの指揮は、常に音楽が止まる瞬間がなく流れている。それは指揮を見ていてもわかることですが、指揮の動きも決して止まる瞬間がなく、常に、それがほんの指の一本でも、必ず動いています。息が常に流れていると同じ様に、「音楽が流れている」ということです。
真鍋圭子 連載インタビュー「カラヤンの真実」

カラヤンの来日時のアシスタントを長年務めたという真鍋圭子さんは、巨匠の音楽の特長を聞かれてそう答えている。彼女はそれ以外にも、カラヤンの創り出す音楽そのものの「響き」の美しさを挙げる。納得である。

・ブルックナー:交響曲第7番ホ長調(ノヴァーク版)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1989.4.18-23Live)

ウィーンは楽友協会大ホールでのライヴ録音。
カラヤンを侮るなかれ(あくまで自戒の意を込めて)。カラヤンの方法は、当然生涯変わることはなかった。その解釈を、その演奏を受け容れることができるか否かは聴き手の器の大きさ次第。それは当然だ。ブルックナーの交響曲の中でも、少なくとも第7番ホ長調は、その外面、すなわち流麗な楽想に支配されているという事実も手伝って、彼流の方法、基本方針が見事にはまる結果になっているという事実を差し引いても、僕たちは先入観を捨ててこの録音に対峙しなければ、本当のところは見えてこない。

おそらく、もし翌年、来日が叶って、実演でこの曲がサントリーホールに響いていたら、それはそれは感涙ものの、好演になっていただろうと想像できる(残念ながらその機会は永遠に葬り去られてしまったのだけれど)。そして、手兵ベルリン・フィルとの断絶はもとより、もしカラヤンにあと少しの時間が与えられていたとしたら、彼の音楽はもっと深遠で、もっとアンチ・カラヤンたちの心をつかむものになっていたかもしれないと僕には思えてならない。真鍋圭子さんのインタビュー記事を読むまでもなく。

それで、さきほどのリハーサルの話になるのですが、晩年になればなるほど、本当によくリハーサルをされました。「またあの曲の練習かい?」と、ベルリン・フィルの団員がいい加減いやになってしまうくらいに。当時、ベルリン・フィルのコンサート・マスターだった安永徹さんが、「カラヤンさんの近頃の練習を見ていると、自分が動けなくなってもそこにいるだけで、アインザッツ(演奏し始めの瞬間)さえ出せば、オケが自然と演奏をやってくれるようなレヴェルにまで、自分たちを持っていきたいのかなぁと思ってしまう。」と言っておられたのをよく覚えています。私は、その通りだと思いました。
~同上サイト

楽団員を惹きつける精神性とでもいうのか。ちなみに、真鍋さんは次のようにも語っている。

偉大な芸術家の常ですが、音楽を哲学的にとらえることを真剣に追及していたと思います。彼の作り出す音楽は、表面的な美しさはほんの氷山の一角で、その下に何倍もの奥深い考察が積み重なって出来あがっているので、どのような角度から聴いても、色々な人が聴いても、惹かれてしまうのだと思います。
~同上サイト

あらためてこの最後のコンサートの記録を聴くにつけ、カラヤンの実演に触れることができなかった自分に地団太を踏む。先入観、常識に縛られること、あるいは情報を鵜呑みにすることの恐ろしさよ。

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