ベルマン&アバド指揮ロンドン響のラフマニノフ協奏曲第3番を聴いて思ふ

作曲家は耳にしたものすべてを、深く熱烈な感動をこめかつて例をみない優れた技術を駆使して、ニ短調の協奏曲の各項に注ぎ込んだ。
そしてこの協奏曲は、おそらく今世紀初めのロシア音楽中、追随を許さぬ頂点を極めたのである。
ニコライ・パジャーノフ著/小林久枝訳「伝記ラフマニノフ」(音楽之友社)P293

セルゲイ・ラフマニノフの音楽にある抽象美には、悲哀があり、愉悦があり、ときに暴力的なまでの怒りまでもが反映する。それは、彼を生んだペテルブルクという町に19世紀来刷り込まれる空気感そのものなのかもしれない。

19世紀中葉に入ると、サンクトペテルブルクの人口は、50万人を超え、名実ともに大都市の仲間入りを果たした。そこにある決定的な変貌をもたらしたのが、アレクサンドル二世による農奴解放である。しかし現実にこの解放は「飢えと放浪への解放」でしかなく、流浪民と化した元農民たちが、都会の底辺にとぐろをまくようになる。飲酒、売春など、犯罪面でもサンクトペテルブルクは第一級の都市となった。「地球上でもっとも抽象的な架空の町」と呼んだドストエフスキーにとって、ペテルブルクは、ファンタスティックな夢に彩られた人工都市であると同時に、「罪と罰」の主人公ラスコーリニコフの精神性とも通じあう、まさに観念と狂気のシンボルでもあった。
亀山郁夫著「チャイコフスキーがなぜか好き―熱狂とノスタルジーのロシア音楽」(PHP新書)P68-69

芸術はすべて環境によって作られるもの、ましてや創造者たる人間は、誰しも時代の趨勢、空気に左右されるもの。歴史を知ることは面白い。

協奏曲指揮者としての類稀な力量。
包容力なのか統率力なのか、その正体はわからない。
クラウディオ・アバドの棒は、どんなピアニストをも本気にさせる。
しかも、どんな解釈でも柔軟に対応できるのだろう、相手が巨匠であれ中堅であれ、あるいはデビューまもない若手であれ、彼は彼の方法で見事に寄り添い、美しい音楽を常に現出する。他人の想いをくみ取るのが余程巧いのだろう。
晩年には、モーツァルトの協奏曲のカデンツァを巡ってエレーヌ・グリモーと対立したほど我を通した彼だが、少なくとも病に倒れるまでは臨機応変に対処することができた人だ。

病気は、そこから癒えることで人の器を大きくする側面があるが、人を頑固にさせる種子にもなり得る。面白いものだ。

ラザール・ベルマンを独奏に据えたラフマニノフのニ短調協奏曲は、いかにもオーソドックスな表現の中に、ロシア的憂愁を醸し、聴く者を圧倒する。何てきれいな音、何て浪漫的な旋律。

・ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番ニ短調作品30
ラザール・ベルマン(ピアノ)
クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団

ここにあるのは音楽をする喜び。
特に、間奏曲という名の第2楽章アダージョの、とても気軽とは言えない重みのある音楽のそこはかとない美しさに感動を覚える。冷徹でありながら濃厚なベルマンのピアノの歌。それに見事に感応しつつ森羅万象を表現する管弦楽のゆらぎ。嗚呼・・・。
そして、アタッカで奏される終楽章アラ・ブレーヴェの重量級の力感!
ここにあるのはまた音楽の苦悩。

 

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