シュメークナー ブルックナー 交響曲第4番「ロマンティック」(オルガン編曲版)(1994.4録音)

演奏旅行に関して言えば、バッハやメンデルスゾーンを弾いたけれども、残念ながらまだろくなレパートリーがない。そのことで心を悩ます時間も、意欲も持てなかった。第一それは無駄なことだ、オルガニストのギャラは安い。思うような条件でコンサートができないなら、一番いいのはむしろ無償で、楽譜も使わず、幻想曲などの即興演奏をすることだ。巨匠たちの作品を、そつなく上手く弾く連中は、ほかにも幾らもいる。レパートリーの維持に時間を費やすのは虚しい。
(1867年3月、ヴァインヴルム宛)
田代櫂「アントン・ブルックナー 魂の山嶺」(春秋社)P92

ブルックナーは自身の長所も短所も知っていた。そのうえで、実に道理に適った考えを持っていたことが興味深い。即興こそが彼にとっての音楽の最高の方法だったのである。

彼も同時代の作曲家、あるいは過去の音楽家同様、常に経済的不安を抱えていた。
そういう状況の中でも、彼は交響曲の作曲を継続した。ブルックナーの交響曲は、ひな形は同じであれ、番号を追う毎に進化、深化した。

中で、人口に膾炙した(?)、最もポピュラーな(?)交響曲第4番変ホ長調。この作品も幾度となく改訂を経、いくつも版があり、その意味では一粒で何度となく美味しい傑作なのだ。

「第一楽章」中世の町の夜明け。市門から騎乗の騎士たちが駆け出してくる。彼らは森に分け入り、木々のざわめきや鳥の声を聴く。
「第二楽章」歌、祈り、夜の情景。
「第三楽章」狩のシーン。トリオの部分では、狩人たちが森の中で食事し、手回しオルガンに合わせてダンスを踊る。
「第四楽章」盛大な村の祭り。

~同上書P125-126

ブルックナー自身の自作の描写は陳腐だ。というより、彼の介在意識では確かにそういう作品を創造しようとしたのだろうと思う。しかし、真の意義は、もっと広汎な、時空を超えた、人智を超えたところにあるように僕には思える。シュメークナーによる世界初録音のオルガン版を聴くにつけ、ブルックナーがオルガンで思考していた人であることを痛切に思う。

・ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調(1878/80稿)(トーマス・シュメークナーによるオルガン編曲版)
トーマス・シュメークナー(オルガン)(1994.4.6&7録音)

パリはマドレーヌ寺院のオルガンによる演奏。どの瞬間もいかにも編曲とは思えない、もともとオルガンのために作曲されたものだとしてもおかしくないと思えるほど、堂に入った演奏。敬虔な響き、崇高な音色、単色でありながら色香漂う美しい交響曲。最高は、終楽章の宇宙的鳴動の粋。これはやっぱり「盛大な村の祭り」などではない。人の思考や常識を超えたパッションとエネルギーを持つ傑作だ。

諸君もあらゆる情報を通じてご承知の通り、音楽はこの2世紀間に長足の進歩を遂げました。その内的有機体は拡大され、完全化され(その音素材の豊かさは注目に値します)、今日我々は、もはや完成の域に達した構築物の前に立っております。そこには部分間の確然たる構成原理と、構造の全体に対する部分の構成原理を認めることができます。一者から他者が生じ、一者もまた他者なしには存在せず、しかもそれぞれが個々に完全である様を、我々はそこに見るのです。
(1875年11月、ウィーン音楽院講師就任講演)
~同上書P127-128

いかにブルックナーが真理を悟っていたかが明らかな講演の内容だと思う。彼の書いた交響曲の素晴らしさの本懐がまさにこの言葉にあるのである。それは、仮にオルガン編曲という代替物になっても変わることがない永遠の中にある。

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