ファウスト ズヴァールト メルニコフ ブラームス ホルン三重奏曲ほか(2007.6録音)

1998年の夏、僕はバーデン・バーデンを訪れた。ヨーロッパのいくつかの都市を鉄道やレンタカーで周ったあの夏は、とても刺激的だった。

バーデン・バーデンでは、かつてヨハネス・ブラームスが過ごしたという家にも行った。若きブラームスが、クララ・シューマンとの逢瀬(?)を楽しんだであろう周辺を散策し、感激に浸った。

皆は、《ホルン三重奏曲》の独創性とロマンティシズムに、深く心を打たれた。数年後、一緒にバーデン・バーデンの丘陵で樅の木の森を散策したとき、ブラームスは、かの三重奏曲の第1楽章の主題が浮かんだという場所を教えてくれた。
(アルベルト・ディートリヒ「ヨハネス・ブラームスの思い出」)
天崎浩二編・訳/関根裕子共訳「ブラームス回想録集①ブラームスの思い出」(音楽之友社)P52

あの、溢れんばかりの懐かしさを持つ、柔らかで美しいホルンの旋律は、散策の途中で突如生まれたものだ。

意識を通して働く意志の力によるだけでは無理だ。意識は物質界の進化の産物であり、肉体と共に滅びる。これが成し遂げられるのは、ただ内なる魂の力—すなわち、肉体の死後も生き永らえる真の我—による。魂の力は、聖霊によって照らし出されなければ、意識からは静止しているように見える。そこでイエスは、神は霊であると我々に教え(〈ヨハネ〉4.24)、またこうも語った。「わたしと父とは一つである」(〈ヨハネ〉10.30)
ベートーヴェンがそうだったように、創造主が共にいて下さると実感することは、驚きに満ちた、畏怖の念を起こさせる体験だ。今までこのことを実感できた者はほとんどおらず、そのため、大作曲家はもちろん、人間が本気で取り組むどの分野でも、創造力あふれる天才というのはほんの一握りに過ぎない。私は作曲に取りかかる前にいつも、こんなことを皆じっくり考える。これが第一段階だ。衝き動かされるものを感じると、私を造られた方を即座に求め始め、まずこの世の生に関して最も大切なことを3つ質問する―我々はどこから来たのか、なぜこの世に生きているのか、この後どこへ行くのか?

アーサー・M・エーブル著/吉田幸弘訳「大作曲家が語る音楽の創造と霊感」(出版館ブック・クラブ)P8-9

死の前年のブラームスの言葉は奇蹟的だ(彼は向こう50年このインタビューの公開を禁止した)。老巨匠が、「衝き動かされるもの」を感じたときは、まさに生を超え、死を了する悟りの境地の縁に手をかけたような瞬間だったのだろうと想像する。

ブラームス:
・ホルン三重奏曲変ホ長調作品40
・ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調作品78「雨の歌」
・7つの幻想曲集作品116
イザベル・ファウスト(ヴァイオリン)
トゥーニス・ファン・デア・ズヴァールト(ナチュラル・ホルン)
アレクサンドル・メルニコフ(ピアノ)(2007.6録音)

ちなみに、ファウストの使用するヴァイオリンは1704年のストラディヴァリウス「スリーピング・ビューティー」、ズヴァールトのナチュラル・ホルンは1845年のローレンツ、そして、メルニコフのピアノは1875年製ベーゼンドルファーだそうだ。

名器が織り成す天才の傑作創造物の美しき再生。おそらくファウストが主導するホルン三重奏曲第3楽章アダージョ・メストから終楽章アレグロ・コン・ブリオにかけての見事な生命力は、作品に内在する愛の力を髣髴とさせる。そして、ズヴァールトのナチュラル・ホルンのあまりに人間的な伸びのある音とメルニコフの重心の低いピアノにファウストの透明感のあるヴァイオリンが絡むときのエクスタシー。これこそ愛だと思う。

久しぶりにこの音盤を聴いて思うのは、実にメルニコフのピアノの自然体の美しさ(ほとんど上の空で聴き洩らしてしまっていたのか)。作品116の7曲の、どこをどう切り取っても、最晩年のブラームスの悟りともいえる境地の老練を見事に再現する力量に僕は舌を巻く。
果たしてブラームスは、僕たち人間が何のために、どこから来て、そしてどこに還って行くのか、知っていたように見えるが、たぶんそれは気のせいだ。彼はたぶんわかっていなかったように思う。

たとえば晩年のピアノ小品には、どの作品においても僕にはこの世への未練が感じられるからだ。愛といえば聞こえは良いが、それはあまりに俗的だ(俗的なことが悪いわけではない)。ただし、そういう人間味のある、哀感や寂寥感や、内省的なそういうものがまたブラームスの芸術の真の特長でもあるのだからそれはそれで良し。ソナタ第1番「雨の歌」も同様に真摯で美しい。

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