マタチッチのワーグナー

12月も下旬に入るといよいよ忘年会続きとなる。
基本的に酒には弱い。一定量を摂取すると途端に眠くなり、その峠が過ぎると今度は逆に覚醒し、眠れなくなる。厄介な身体である。

それにしても寒い。夜風に吹かれて酔いがいっぺんに冷めるが、歩きながら考えたこと、「愛」と「情」について。この世界に生きていると煩わしい人間関係に惑わされることが多い。ともすると「情け」を感じるのがこれまた人の特権なのだが、結局それは「過去の記憶」に支配されていることに過ぎない。そう、思い出がなくなれば、縛られるものがなくなるということであり、それこそがまさに「今に生きる」ということに直結する。ということは、普遍的な愛なるものは「今を生きる」ところにしか生まれ得ないということ。人を愛するとか自然を愛するとか頭では理解できても「記憶」に左右されている以上それは身をもってわからない。目の前に起こることにのみただ集中することか・・・。

さて、すっかり目が覚めた。
ここはワーグナーだろうと、深夜に静かに耳を傾ける。

ワーグナー:
・ファウスト序曲
・ジークフリート牧歌
・ヴェーゼンドンク歌曲集
エステル・コヴァーチェ(ソプラノ)
ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮ザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団(1983.2.11Live)

ファウスト序曲ってこんなにも素敵な曲だったんだとあらためて感動。シューマンの「マンフレッド」序曲に通じる何とも内なる灼熱に身も心もとろけそうになる。そして、ジークフリート牧歌。リヒャルトが密かに計画し、妻コージマの誕生日、クリスマス・イヴの日に自宅の螺旋階段に室内楽団を配置し、目覚まし時計のように奏でられた音楽がそのままこの瞬間に生き返るような生々しさと不思議な優しさ。これほど包容力のあるジークフリート牧歌は他では聴けない。さらに、「トリスタン」と双生児的な「ヴェーゼンドンク歌曲集」の粋。第3曲「温室にて」のエロティックな美。

遠く焦がれる思いに
お前たちは腕を伸ばす
そして妄想にとらわれ
荒れ果てた空虚のむだな恐怖を抱く

そうだ、私は知っている、哀れな植物たちよ
一つの運命を私たちは分かち合っている
光と輝きに周囲を照らされてはいるが
私たちの故郷はここではないことを!

第5曲「夢」の儚さ。

告げよ、なんと素晴らしい夢が
私の心を抱いて離さぬことか?
そして、それが虚ろなうたかたにはあらで
荒れ果てた空虚へ消え去らざりしことを

マタチッチのワーグナーは偉大である。何より底知れぬ哀しみを表出するところが良い。

5 COMMENTS

雅之

おはようございます。

>「今を生きる」

この言葉にも多面性がありますね。

ある角度から見ると単に刹那的っていうか。

返信する
岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
様々な角度、視点から物事を見るのは大切ですよね。

あと、「刹那」という言葉にもネガティブな意味、ポジティブな意味の2面性があると思います。

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む