ピリス シューベルト 4つの即興曲D935(1997.9-10録音)ほか

我らはいわば迷い人である。6万年という長期にわたりこの世を流離うも、帰るところを知らぬ放浪者であった。

フランツ・シューベルトの、特に晩年の作品には、この世に対する執着とあの世への期待と憧憬が錯綜するが、結局輪廻の中に留まることを強いられる不安や怖れがある。しかし、そいう負の感情こそが彼の芸術を一層高尚なものにしていることを忘れてはならない。
彼が愛したゲーテを思う。

空より来りて、
なべての悩みと苦しみをしずめ、
二倍にも哀れなるものを
二倍にもよみがえらしむる甘き和みよ、
ああ、世のいとなみに我は疲れたり!
なべての苦しみも喜びも何かはせん。
甘き和みよ、
来たれ、ああ、来たれ、わが胸に!

「旅びとの夜の歌(空より来りて)」
高橋健二訳「ゲーテ詩集」(新潮文庫)P84-85

旅は決して甘いものではない。様々な試練を不屈の精神で闘ってきた人間の、最後の砦こそこの世での調和だ。ゲーテはそのことを当然知っていた。そしてまた、シューベルトはそのことを本性でとらえていた。

“Le Voyage Magnifique”(壮大な旅)と題するピリスのシューベルト・アルバムは、シューベルトの、わずか31年のこの世へ別れを告げる辞世の歌たちを、あの世への期待と憧憬をもって示す見事なページェントだ。何という美しさ、何という充実感!

シューベルト:
・4つの即興曲D899(作品90)(1827)(1996.7録音)
・アレグレットハ短調D915(1827)(1997.9-10録音)
・4つの即興曲D935(作品142遺作)(1827)(1997.9-10録音)
・3つのピアノ曲D946(1828)(1997.9-10録音)
マリア・ジョアン・ピリス(ピアノ)

ロベルト・シューマンに「どんな遺作も、彼の精神の証拠である。今度のアンプロムチュも、最初の2曲などどこをとってもフランツ・シューベルトの香りが高く、我々を魅惑し、ついと逸らし、またひきつける、あの限り無い上機嫌が見出される」(前田昭雄訳)と言わしめたD935の、感興の乗った透明な歌の美しさに僕は言葉を失う。

そして、一層素晴らしいのは、死の年に作曲されたD946。長々と呼吸の深い節回しはシューベルトならではで、音楽しか感じさせない神々しさ。人の気配がないのである。

山々の頂に
憩いあり。
木々のこずえに
そよ風の気配もなし。
森に歌う小鳥もなし。
待てよかし、やがて
なれもまた憩わん。

「旅びとの夜の歌(山々の頂に)」
~同上書P110-111

てっぺんとは、天とはそういうものだ。
果たしてシューベルトは、そこに辿り着けたのだろうか?

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