本当に必要なことかそうでないかの区別を明確にすべきとき、否、そうならざるを得ないときが来ているようだ。
一人静かにドミトリー・ショスタコーヴィチ。
聖なる音楽によって崇高な気分を味わい、同時にまた俗世界の至高の音楽を聴いて涙する。
世界が常に危機にあった時代、音楽は人々の心を癒す術として使われたのだろうか。ソヴィエト連邦に生まれた天才作曲家の作品は、中でも弦楽四重奏曲は、作曲家の内なる悲哀を見事に反映し、生の喜びや希望、また死の恐怖や不安を喚起した。そういう音楽を、有限の世界に生きる公衆は、嬉々として受容したのだろうか。彼の四重奏曲は、内なる声だ、実に身近だ。心の襞の隅々までをも照らし出す音符の連なりに僕たちは心動かされる。
閉じられた世界にあってショスタコーヴィチは未来に何を想像したのだろうか。
暗澹たる音調に垣間見える明快な音、乾いた音、そして激烈な音。
ボロディン四重奏団の最初の録音は、まさに同時代の息吹を目の当たりにする名演奏。
傑作ハ短調作品110第2楽章アレグロ・モルトの壮絶な自己闘争は、オリジナル・ボロディン四重奏団の真骨頂。静かな瞑想を打ち破る動的な再生は、続く第3楽章アレグレットのお道化た官能と相まって、世界に真の平和をもたらすきっかけとなり得るようだ。ここには見事に希望の光と動的な安寧がある。心静かに。
今こそショスタコーヴィチ。
やらなくてはいけない、と映画音楽のスケッチを書こうと、いくらがんばってもまったく書けないのです。代わりに、誰にも求められていない、イデオロギー的に欠陥のある弦楽四重奏曲を書きました。将来、ぼくが死んでも誰もぼくの思い出に捧げる作品を書いてはくれないだろうと考えて、それで自分で書くことにしたのです。「この(弦楽)四重奏曲の作曲者の思い出に捧げる」と表紙に書いてくれて構いません。
(1960年7月19日付、グリークマン宛書簡)
~ローレル・E・ファーイ著 藤岡啓介/佐々木千恵訳「ショスタコーヴィチある生涯」(アルファベータ)P281