
ノアンでの最後の夏。
ショパン、サンド、ドラクロワ。
もっと早く手紙を差し上げなかったのは、手紙を出すことを考えないではなかったが、いっしょに拙稿(作品60、61、62)をお送りしたいと思っていたからです。だが、まだ仕上がっておりません。ともかく、ブランデュス氏の手紙を同封します。これが着きましたら、ご面倒でも彼に問い合わせた上、わたしに短い返事でもしていただけると思っていますが。何か予想外のことにでもなるようでしたら、マイソニエが何か出したいと言っていますから、その方に話を進めてもよいと思います。
(1846年7月8日付、オーギュスト・フランショーム宛)
~アーサー・ヘドレイ著/小松雄一郎訳「ショパンの手紙」(白水社)P364
体調不良を押して、ショパンは仕事に邁進した。同年8月21日の、ジョルジュ・サンドの友人への手紙には次のようにある。
ウージェーヌ・ドラクロアが来ています。2,3日中に立ちます。ショパンは相変わらず大作に取り組んでいます。もっとも彼は、ろくなものではない、と言っています。・・・わたしは自分の仕事はしておりません。秘密な心配がだんだん心の中に大きくなっています。
~同上書P364
時に癇癪を起こすショパンの面倒をサンドは黙って気を遣い、見守っていたのだろうと思う。
8月19日にドラクロアが書いている。「ショパンはわたしのためにベートーヴェンを神々しくひいてくれました。美学についてのどんなおしゃべりより、この方がずっとすばらしいです。」
~同上書P364-365
ひと夏の日常が、こうもリアルに、幾人かのペンによって語られる様が劇的だ。結局自分に引きこもっていたのはショパン当人だけで、周囲は皆大変な苦労を強いられていたのである。しかし、この自己中心的な緊張感こそが作品に遠心力と求心力の両方をもたらした因であり、負の力が芸術にいかほどの精神性をもたらすものなのかを目の当たりにする。
10余年前、すみだトリフォニーホールで聴いたピリスのコンサートの模様が蘇る。
ほんのりと暗い舞台から、ピリスの優しくも高貴なピアノが静かに鳴り響く様子は、いまだに僕の脳裏から離れない。
ピリスのピアノは深沈たる風趣で、無心の響きを保つ。傑作チェロ・ソナタなど、あの日のゴムジャコフとのパフォーマンスも心に染み入る素晴らしい出来だったが、この録音での愁いを帯びた、慈しみの表現も実に美しい。ポロネーズもワルツも、そしてマズルカも絶品。そしてまた、2つの夜想曲作品62の、一粒一粒の音を大事に、思念を込めながら、しかし純白を保つ最期の輝きの如くの、脱力の表現はピリスの真骨頂。ジャケットに見る、彼女の、抜けた、すべてを悟ったかのような遠くを見つめる表情が何とも美しく、それがこのショパンの境地を物語っているようだ。久しぶりに耳にして、相変わらず最高だと僕は思った。