
ポリーニの演奏は、鋭利でまた繊細で、ただし、どこか温かみの欠ける、薄いものだという記憶が僕の頭をずっと支配していた。かれこれ35年前、NHKホールで聴いたベートーヴェンは、ひょっとするとホールの特性で、彼の真意や演奏の真髄が伝わり切っていなかったのかもしれないのだけれど、あのときの印象がずっと拭い去れなかったのである。彼の弾くショパンもベートーヴェンも、あるいはシューベルトもリリースされたときに真っ先に聴いたのだけれど、正直ピンと来なかった。
本当に長い間忘れていた。
そんな経験があったものだから、随分長く遠ざかっていた。日常ですら彼の音盤に自然に手が伸びることはまずなかった。
何となくYoutubeを徘徊していたら、息子のダニエレとの協演によるベートーヴェンの「皇帝」に出逢った。僕は思わず惹き込まれた。とても新鮮で、久しぶりに感じる感覚だった。
何より親子だけあって、呼吸や間がぴったりで、いまや老境に至ったポリーニの余裕のピアノに、僕はとても慈しみを感じたのである。一方のダニエレの生き生きとした鋭い指揮、それでいて音量を抑え気味に、つまり自分を主張せず、父のピアノを称える意図・姿勢で音楽を創造する謙虚さにとても感動した。
音楽に限らず、何事も自然体がベスト。
しかし、僕たちの日常は、まったく無意識に力が入り過ぎているものだ。
脱力で、阿吽の呼吸で事を進めることができたら、どれほど幸せなことか。
・ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」
マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ)
ダニエレ・ポリーニ指揮ガリシア交響楽団(2014.11.14Live)
スペインはア・コルーニャのオペラ・パレスでのライヴ。
テクニックはまったく衰えず、しかしながら、味わいのある、深い音楽が奏でられる。時にピアノの音がうるさく聴こえる瞬間も無きにしも非ずだが、それは録音環境の関係もあろう。第2楽章アダージョ・ウン・ポコ・モッソの筆舌に尽くし難い美しさ、そして、終楽章ロンドの弾ける喜び。僕は釘付けになった。