クリュイタンス指揮パリ音楽院管 ルーセル 交響曲第3番&第4番(1965.11録音)

棗椰子の葉の茂みが震え出した―最初は気づかないほど、ついでもっと激しく、そしてジャックモールは歯をくいしばった。悲鳴が湧き起こった、それがあまりに鋭く激しかったので、彼はもうちょっとで耳をふさぎそうになった。棗椰子の幹が揺らいだ、そしてその震動のたびごとに叫びのリズムは速まった。棗椰子の根元の大地が割れて口を開けた。ありえない音調が大気に穴をあけ、鼓膜を引き裂き、庭じゅうに鳴り響いて、低い雲の天井に反射するかのようだった。株は一気に地面から引き離され、長い湾曲した幹が待避壕の方角に倒れた。いまやそれは地面の上で跳ね、踊り、依然としてあの耐えがたい絶叫を発しながら、少しずつ溝に近づいてきた。
滝田文彦訳「ボリス・ヴィアン全集6 心臓抜き」(早川書房)P208-209

現実と幻想が交錯する風景こそがヴィアンの主題だが、その彼方には文字にならない、音響の世界があったろう。それはまるでアルベール・ルーセルの音世界に近い。

暴力性と抒情性の混濁(?)とでも表現しようか、まるでヘヴィ・メタルのように耳をつんざく、あまりに烈しく受容を拒絶するような瞬間もあれば、はたとそれを受け入れんとする心が働く優しい瞬間が、刻々と入れ替わる。しかし、それは決して意味不明の、奇天烈な、筋の通らない音楽ではない。ショスタコーヴィチの方法にも似て、どこか実に心地良いのである。

おそらく指揮者の力量やオーケストラの実力もあるのだと思う。
フランス近現代の音楽に、ドイツ的な重厚さを兼ね合わせた堂々たる音響に僕は膝を打つ。

ルーセル:
・交響曲第3番ト短調作品42(1929-30)
・交響曲第4番イ長調作品53(1934)
アンドレ・クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団(1965.11.15, 17&19録音)

音楽の類稀なる推進力は、クリュイタンスの棒の真骨頂。平和な世界から混迷の時代へと突き進む欧州世界にあって、感性極まる芸術家たちは何を想像し、何を見ていたのだろうか。一聴喜びの表現の中にある虚ろな悲哀。生の愉悦を謳歌する中に感じられる死への恐怖。矛盾する(二枚舌的)二象限が巧みに刷り込まれるルーセルの世界。ショスタコーヴィチさながら。

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