
迫真のショスタコーヴィチ。
レナード・バーンスタインが来日時に演奏した交響曲第5番は、その演奏を実演で聴かれた人たちには語り草になっていた名演奏だが、ジョン・マックルーアによって収録された音盤を、遅ればせながら初めて聴いたとき、僕は心底感激した。当時まだバーンスタインは存命で、晩年の、魂の芯にまで届く、ときには凡演はあるものの、総じてテンポの遅い、極めて個性的な名演奏に心から痺れていた時期だったゆえか、毎日のように繰り返して聴いて悦に浸った。
ライヴとは思えぬ、疵のない、一分の隙もない慟哭の交響曲第5番。
上野で実際に耳にされた人たちは、当日当夜、どんな思いでいたのだろう。
居ても立ってもいられないような分厚い音響に僕は40余年前のその日に思いを馳せる。
・ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調作品47
レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック(1979.7.2&3Live)
音楽は引き締まった造形で、理想的なテンポで空(くう)から編み出すように紡がれる。
第1楽章モデラートの出は重みがあり、意味深く音楽は滔々と流れて行く。また、第2楽章アレグレットの剽軽な旋律もどこか真面目で厳格だ。時間の経過とともに、まるで作曲者自身が乗り移っているかのように音楽は生々しく、尊厳をもって鳴り響く。一層素晴らしいのは、幽玄な第3楽章ラルゴの悲哀から終楽章アレグロ・ノン・トロッポにおける圧倒的解放感。そこには人類の背負ってきた業(カルマ)の清算がいよいよ始まるのだという複雑な心境が見事に音化される様を思う。
バーンスタインはエリート意識ふんぷんとした名のある他の同業者たちとちがい、聴衆と自分とのあいだに距離をおこうとはしなかった。それどころか彼は聴衆に自分の考えはどうかと意見を求めたり、「通行人」にさえ自分のやっていることに関心をもたせようとやっきになった。そんなとき彼の卓越した音楽的な能力は、けっして自己目的化しなかった。彼は音楽のなかにむしろ高度な民主的な芸術がひそんでいるのを洞察し、それを実現するには模範など必要ないということを知っていた。
~ルーペルト・シェトレ著/喜多尾道冬訳「指揮台の神々—世紀の大指揮者列伝」(音楽之友社)P382
バーンスタインは、それを受け取ってくれる聴衆のことだけをいつも考えていたのだと思う。東京文化会館での底知れぬ名演奏もそのポリシーの中で生まれたものだ。