ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル チャイコフスキー 交響曲第5番(1973.4.29Live)

ひたすら音楽のことだけを考えて佇む強面のマエストロ。
そんな印象はさておき、実際にはとても人間臭い、子どもっぽい面も老巨匠が持ち合わせていたというエピソードがとにかく面白い。

お箸の使い方も、器用なアレクサンドラ夫人はすぐにマスターしたが、ムラヴィンスキーはぶきっちょで最後までフォークで通した。
「マエストロ、いつも指揮棒を振っているのに、どうしてお箸が使えないんですか?」と私。
「だって指揮棒は一本だもの」
座はどっと沸き、私はてんぷらの食べ方を教えて主導権を握り、この日からムラヴィンスキーが怖くなくなって、以後、日本でもレニングラートでもこの権利が剝奪されることはなかった。

河島みどり著「ムラヴィンスキーと私」(草思社)P178

しかし、音楽のこととなるとそういうお茶目な側面は当然封印された。

京都、大阪とコンサートが続き、マエストロは部屋に閉じこもってスコアを読む日が続いた。初めて日本の聴衆の前に立つという緊張感から京都見物もしようとしなかったマエストロだったが、会場を揺るがすほどの拍手で何度も舞台に呼びだされ、やっと心をときほぐしていった。そして大阪のあと、東京公演まで少し時間があったとき、大好きな金魚を鑑賞するという餌で、奈良県の養殖池のある村へ重い腰をあげてくれた。
~同上書P175

音楽に対してはとことんストイックであったムラヴィンスキー。初来日の直前の本国でのリハーサル風景を収めた9枚組ボックス。当時、ムラヴィンスキーはオーケストラの団員に向かってリハーサルの中でこんなことを言っていたようだ(1973年5月4日、ショスタコーヴィチの交響曲第6番リハーサルでの一コマ)。

どうして私はここをこれほどクリーンにしようとしているかというと、この先1ヶ月間私たちはお会いできませんし、向こうではドイツやオーストリアの時のようにはリハーサルはできないだろうからです。私が今ここでやっておきたいのは、皆さんがちらではより多くの時間、芸者と仲良くできるように望むからです。おわかりですか?
ALT127ライナーノーツ

執拗な(?)と言っていいほどの繰り返しの続くリハーサルを通じてオーケストラがみるみる鍛え上げられていく様に驚嘆の念を禁じ得ない。彼にとって音楽を仕上げることは第一だったが、しかし一方で、彼は団員が羽を伸ばして遊んでくれるだろうことを意識して細かい練習に臨んでいたことが興味深い。

チャイコフスキーの交響曲第5番のリハーサルとコンサートはいつものムラヴィンスキー節だが、丁寧な練習風景をひもといた後の実況録音の印象は格別だ。

・チャイコフスキー:交響曲第5番(リハーサル第4日目、第5日目)(1973.4.25&26録音)
・チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調作品64(1973.4.29Live)
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

一つ一つの音に思念をたっぷり込めて、しかし颯爽と流れる音楽の魔法に金縛り。
レニングラードはフィルハーモニー大ホールでのコンサートの記録。第1楽章アンダンテ―アレグロ・コン・アニマから音楽は火を噴き、猛烈に弾ける。しかも、楽章を追うごとに音楽のテンションは上がり、仄暗くも美しい第2楽章アンダンテ・カンタービレ,コン・アルクナ・リチェンツァから第3楽章ワルツを経て、愉悦に沸き立つ終楽章アンダンテ・マエストーソの「解決」に、生死を超越した不可思議な感覚が喚起される(作曲家自身は凡作だとしたが、少なくともマエストロ・ムラヴィンスキーの演奏を通じては傑作だと断言できる)。

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