
旅先でクラリネットの音色に魅了されたモーツァルトは、様々な作品でこの楽器を用いるようになる。
モーツァルトの音楽は、宇宙の、自然の運行とまるで一体だと感じる。
ひとつの無駄もない、素朴でかつ美しい、必要で十分な音符で成る唯一無二の音の伽藍。
クラリネット五重奏曲イ長調K.581。
1789年9月29日完成。
相変わらず借金に追われ、旅先から、遊び歩く(?)妻の心配をする可哀想なモーツァルト。
しかし、その創造物は透明で、高貴で、聴く者の心を癒す。
もっとも尊敬すべき友にして同志よ!
この手紙の内容に、驚かないで下さい。最上の人よ、あなたは私と私の事情をすっかりご存じなので、あなたにだけは自分の心中を安心しきって打ち明ける勇気が出るのです。来月には(現在の仕組では)支配人からオペラの代として200ドゥカーテン(900フローリーン)入ります。それまでに400フローリーンだけ貸して下さるご都合ができ、またその気持がおありならば、あなたの友人を最大の困惑から救い出すことになります。
(1789年12月、プフベルク宛)
~柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙(下)」(岩波文庫)P164
本当に困窮していたのか、はたまた出まかせなのか、それはわからない。
すべてが生活のために書かれた作品だとするなら、モーツァルトはやはり只者ではない。
「フィーガロ」はきっと日曜に上演されるだろう。でも、それより前にお知らせしよう。一緒に聴いたら、どんなに嬉しいだろう。もしかして変更が起こっていないかどうか、今すぐ見に行かなくては。それが土曜日まで上演されないのだったら、今日のうちにも、お前のところへ行くんだが。さようなら、お前! けっしてひとりで歩かないこと。それを考えると、ぞっとする・・・
(1789年8月19日?付、妻コンスタンツェ宛)
~同上書P163-164
天上にはそもそも不安などないという。
それならば、モーツァルトの音楽はやはり天上の調べだ。
死のわずか2ヶ月前に作曲されたクラリネット協奏曲イ長調K.622。
ふくよかな、優雅な、憂いに満ちた音色。
あまりに人間味溢れる音は、レオポルト・ウラッハのクラリネットであればこそ。
カラヤンの指揮は、後年に比べ、主張の薄い、どちらかというとオーケストラに委ねるもので、それゆえにウラッハの独奏が一層映えるものだ。第1楽章アレグロ冒頭では、意気揚々と管弦楽を鳴らそうとするもどこか表面的な様相拭えず、しかし、ウラッハのクラリネットが入るや音楽の質が一変する。第2楽章アダージョ、終楽章ロンドについても同様。
すべては無垢な歌心の中。
おじゃまします。ウラッハのモーツアルト五重奏曲と協奏曲を聴いてみました。ウラッハを初めて知りました。本当に美しいです。特にクラリネット協奏曲の2楽章の美しさ、儚さは何でしょう。ベートーヴェンの緩徐楽章も手の届かない、天上のものと思えてきます。このような音楽を、困窮した、心配事目白押しの生活の中で書き散らしていたとは想像を絶しますね。ありがとうございました。
>ナカタ ヒロコ 様
ベートーヴェンとは別の意味でモーツァルトはいっちゃってますよね!(笑)
凡事の影響を一切受けないモーツァルトの強靭な創造性と申しましょうか、最高の名曲だと僕も思います。