ネーメ・ヤルヴィ指揮スコティッシュ・ナショナル管 プロコフィエフ 交響曲第2番ほか(1984.12録音)

両曲(ピアノ協奏曲第2番、カンタータ「彼らは七人」)とも大成功を収め、クーセヴィツキーが作品への理解をより深めさせようと同プログラムで2度カンタータを指揮したとき、聴衆はやや不満な様子すら見せた。だがこのころ、わたしは初めてある種の非難を投げかけられ、徐々にそれを繰り返し耳にするようになった。すなわちわたしが古い作品ばかりを売って生きている、と言うのだ。これがわたしに新しく“鉄と鋼”でできた大きな交響曲を書く決心をつけさせた。おもな主題はもうできあがっており、それはどことなくベートーヴェンのピアノ・ソナタ作品111の外形に似ていた。
田代薫訳「プロコフィエフ自伝/随想集」(音楽之友社)P103

交響曲第2番作曲にまつわるエピソードは、交響曲が作曲家の内なる「抗いの心」によって成されたものであることを物語る。それにしても外形がベートーヴェンのソナタハ短調作品111を模したものであることが興味深い。

しかしながら、ベートーヴェンとプロコフィエフの芯はまったく別種のもので、前者がいわばアリエッタの祈りによって陰陽相対世界の解決を求めたものであるのに対し、後者はもっとドロドロした人間世界に留まる、自身の内なる喜怒哀楽の発露であることを考えると、2つの作品に連関性はまったくない。しかし、そこから読み取るに、当時のプロコフィエフの内面は相当に傷つき、自身が心から癒されたかったのだろうと思われる。

交響曲第2番が1925年6月6日にパリで公演された。演奏は、成功と呼ぶには構成が濃密に編み込まれ過ぎで、対位法の流れが形を変えるときに重く積み上げられすぎており、ある評論家が七声の対位法を褒めてはいたが、わたしの友人たちは当惑した沈黙を保った。このときがたぶん初めてだったと思うが、わたしは二流の作曲家として運命づけられているのかもしれない、という考えが浮かんだ。
~同上書P106

時代と懸命に闘っていたプロコフィエフの作品は、それゆえに残念ながら普遍性を獲得するに至らないというのが僕の本音だ(どうしても音楽に「古びた印象」が拭えないというのが率直な感想)。

プロコフィエフ:
・交響曲第2番ニ短調作品40
・バレエ音楽「ロメオとジュリエット」組曲第1番作品64bis
―フォーク・ダンス
―情景
―マドリガル
―メヌエット
―仮面
―ロメオとジュリエット
―ティボルトの死
ネーメ・ヤルヴィ指揮スコティッシュ・ナショナル管弦楽団(1984.12.4&5録音)

グラスゴーは、SNOセンターでのレコーディング。録音からちょうど37年目の日に聴くプロコフィエフは格別な味だと言える。
ネーメ・ヤルヴィの棒は懇切丁寧で、鉄と鋼の交響曲の内側を実にわかりやすく創造する。第1楽章アレグロ・ベン・アルティコラートは、確かに不協和音と金属的な響きに終始する(難解なものな)のだが、聴く者の集中力を削ぐことなく、果敢に、同時に柔和に音楽を紡ぐ。時に現れる美しい、もう一人のプロコフィエフの母性が語る瞬間は、後に祖国に戻り、体制に迎合するかのように描いた作品群の優しさを先取りするようだ。一方、主題と6つの変奏によって成る第2楽章の、熱のこもった運動と、その後に現れる安らかな思念の葛藤がやはり垣間見られるようで、いかにも人間的だ。

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