そしてエルザは、夢のなかから歩み出て、それが現実に成就されることを確信しつつ、言葉を続ける。「私は、あの騎士を待ちましょう、あの方にこそ私の戦士となっていただきたい。」ここで、音楽のフレーズは深い陶酔から醒めて初めの主調に戻る。
ピアノ抜粋版を作るために私が郵送したスコアを受け取ったある若い友人は、これほど僅かな小節のなかにこれほど激しい転調を含んでいるフレーズにひどく驚いたが、ヴァイマールでの「ローエングリン」の初演を聞いた時には、その同じフレーズがまるで自然に聞こえたので、ますます驚いてしまった。もちろん、これには、さっと楽譜に目を通しただけで、適切な演奏によって見事な音像を作り上げたリストの指揮ぶりも大きく貢献していたのだが。
(池上純一訳「音楽のドラマへの応用について」(1879))
~三光長治監修「ワーグナー著作集1 ドイツのオペラ」(第三文明社)P453
リヒャルト・ワーグナーの博識が次々と繰り出す論は、1世紀以上を超えた今でも納得の行くものがほとんどだ。当時の専門家たちは凡そが否定論者だったようだが、一部の急進的な連中はワーグナーの楽劇はもちろんのこと、彼が論ずる音楽論に首肯した。
歌劇「ローエングリン」のあまりの美しさ、そして情念の激しさ、高尚さ。
フランツ・リストがピアノに編曲した「聖堂へ向かうエルザの婚礼と行進」が何だかとても切なく聴こえる。リストのワーグナーがその指揮ぶりを賞賛したリストの腕前に舌を巻く。
若きゾルターン・コチシュが録音したワーグナーのトランスクリプション集が素晴らしい。
シプリアン・カツァリスの奏でたそれとはまた違う、無色透明な、純度の極めて高いワーグナー音楽が聴こえる。
ピアニスト自身による編曲も実に素晴らしい。
中でも「マイスタージンガー」前奏曲の、聖と俗が混淆した絢爛豪華な神々しさよ。
実際、詩人の力量を知る最良の手立ては、言葉に尽せぬ内容をしておのずから沈黙の内に語らしむるために、その詩人がどれだけのものを語らずに黙しているかを知ることである。この、沈黙の内に秘められた内容を澄明な響きに変えるのは音楽家の役目であり、高らかに鳴り響く沈黙の真の形式は、無限旋律unendische Melodieである。
(池上純一訳「未来音楽」(1860))
~同上書P169