
フルトヴェングラーはエルガーの音楽を独墺の巨匠と比較して、二流(?)として評価しなかったが、ドイツの巨匠の模倣から(影響を受け)スタートしたエルガーの作風は、そのスタイルだけとれば確かにそう思える節はあるのかもしれない。

しかし、エルガーのすべての作品を具に聴き込んだわけではないので断定することはできないが、(そもそもの英国的スノッブな風趣であることは横に置くとして)洗練された音響と旋律美を聴くと、明らかにドヴォルザークやブラームスからの影響が大きいように思われる(ブラームスほど内省的でなく、ドヴォルザークほど開放的でない、それこそエルガー独自の音調が創作の絶頂期の作品に横溢する)。
エルガーの自作自演、独奏チェロはベアトリス・ハリスン。
100年近くも前の録音とは思えぬ鮮明さに、そしてまったく古臭さを感じさせない演奏に感激する。
・エルガー:チェロ協奏曲ホ短調作品85(1918)
ベアトリス・ハリスン(チェロ)
サー・エドワード・エルガー指揮新交響楽団(1928.3.23&6.13録音)
ロンドンはキングズウェイ・ホールでの歴史的録音。
カザルスの独奏がいかにもカザルスを感じさせるのに対し、ハリスンのチェロは、独奏者の存在を忘れさせ(ポルタメントを駆使するなど表現は古臭いと思わせる個所もあるのだが)、音楽だけを感じさせるのはさすがに作曲者自身が指名しただけあると思う。

当時、この録音を聴いてエルガーのこの作品に感化されなかった人はいないのではないかと思わせるくらい(当時は音盤そのものが高価だっただけにどれくらいの人が聴き得たかはわからないが)。
やはり第1楽章アダージョ―モデラート冒頭の独奏チェロによるカデンツァに僕は涙する。
(終楽章でこの主題が回帰するシーンの喜びは、他のどの演奏をも凌駕するかも)
(さすがは作曲家の自作自演だけあろう)