クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管 クレンペラー 交響曲第2番(1969.11.3録音)ほか

オットー・クレンペラーの自作自演。
彼の創造した作品は、思った以上にどれもが美しく、また素晴らしい。

音楽が有調か無調か、十二音技法か不確定性かというのはどうでもいいことだ。いいか悪いかが問題なんだ。ぼくのばあいもそうだ。ぼくは、じつは不協和音も協和音も存在しないというシェーンベルクの偉大な教えに従っている。ときにはド・ミ♭・ミ・ソの響きがとてもいいし、ときにはまっさらな三和音のほうがいい。だからロンドンで聴いたシュトックハウゼンには大きな感銘を受けた。もっとも指揮をしたのはブーレーズだったんだがね。バッハの異様に無調な音楽も筆舌に尽くしがたいほど美しい。まわりの言うことをしなくていいというのが、ぼくらに残された唯一の特権だ。1961年からたくさん作曲していて、交響曲も弦楽四重奏曲も書いたし、オペラも一作つくった。なにかの折に会えることがあったら、ぜんぶ見せてあげる。
(1969年5月21日付、オットー・クレンペラーからイルゼ・フロム=ミヒャエルスへの手紙)
E・ヴァイスヴァイラー著/明石政紀訳「オットー・クレンペラー―あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生」(みすず書房)P208

最晩年の、大らかな、悪戯っこのような口調が何とも好々爺然として可愛らしい。しかしながら、クレンペラーはこの手紙の中でとても大事なことを語っている。「いいか悪いか」問題はそれだけだとの言に僕は首肯する。

果たしてクレンペラーの指揮する自作交響曲は、実に丁寧に、そして愛情を込めて歌い上げられる。4つの楽章を持つ、30分にも満たない音楽は、同時代の他の指揮者の(どちらかというと冗長な)作曲作品に比較して見事に統合されており、有機的に響く。終楽章では十二音技法も用いられ、さながら様式の宝庫。何より旋律の美しさ、音調の誠実さ。特に、第2楽章アダージョの素晴らしさ。

クレンペラー:
・歌劇「終着点」~メリー・ワルツ(1915)(1961.10.30録音)
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団
・交響曲第2番(1967-69)(1969.11.3録音)
オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
・弦楽四重奏曲第7番(1968-70)(1970.2.16-17録音)
フィルハーモニア弦楽四重奏団
エマニュエル・ハーヴィッツ(ヴァイオリン)
ドナルド・ウィークス(ヴァイオリン)
ハーバート・ダウンズ(ヴィオラ)
ノーマン・ジョーンズ(チェロ)

メリー・ワルツは、不幸なことに結局一度も上演されることのなかった歌劇「終着点」の中で、療養所のホールで患者たちが気晴らしに躍るワルツを表すものだが、確かに病に伏す人たちの束の間の幸せが躁状態の如く明るく快活に奏され、心地良い。

1970年にバルトーク弦楽四重奏団によって初演された四重奏曲第7番もあらゆる語法が散りばめられた、しかし聴きやすい名曲。ことに、淡々と、思念を込めて歌われる終楽章アダージョは、クレンペラーの遺言の如くの彼岸への憧憬の音楽だと僕は思う。

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