Sting “Songs from the Labyrinth” music by John Dowland / performed by Sting and Edin Karamazov (2006)

嘆息とは愚痴の一形態なのかどうなのか、ふと思った。
哀しみを解放するという意味で、ため息は大切なツールの一つだ。
涙についても同じく。嬉しい涙、喜びの涙、悲しい涙、怒りの涙、様々な感情が渦巻くも、涙を流すことは心を正常に保つ上で大切な作用だと僕は思う。

流れよ、わが涙、なんじの源から溢れ落ちよ。
とこしえの追放を受けたれば、せめて我に悲嘆を許し給え。
夜の黒き鳥が自らの哀れな汚名をさえずる地、
その地にて我を独り惨めに生きさせ給え。

スティングが歌い、カラマーゾフが伴奏するジョン・ダウランドのリュート歌曲たち。
名作「流れよ、わが涙」を聴きながら涙こそが慈しみの現れなのではないかと思った。
心身を癒す薬という漢字の原型は「自家水」だそうだ。自らの内なる水とはすなわち慈しみの心だという。一見、恨み辛みの嘆息ともとれる歌詞の真意には、人間本来の心である慈悲というものの発露の重要性が秘められているのだろうか。

Sting:Songs from the Labyrinth (2006)
Music by John Dowland
Performed by Sting and Edin Karamazov

スティングの心はジョン・ダウランドの歌に共感し、彼も魂はダウランドの詩に同期する。
古の哀歌が、スティングの虚ろな声によって一層悲しみを増すのだ。
しかし、そこにあるのは決して悲観ではない。僕にはむしろ喜びや楽観が感じられるのである。
エディン・カラマーゾフの弾くリュートは何だかとても切ないのだけれど(陰陽二元世界の矛盾を表現するかのようだ)。

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