ヴァント指揮ベルリン・フィル ブルックナー 交響曲第5番(1996.1Live)

ライヴとは思えない一切の乱れのない精緻さ。有機的に結びつく各楽章から放たれるオーラは、四半世紀を経た今も廃れることはない。

私は、彼の交響曲が形成され、構成素材が対置され、また補いあうことを可能にしている絶対的な論理のうちにこそ偉大さを見ている。そしてこれはゲネラルパウゼや短い休止についても当てはまる。なぜなら、もしこれらがうまくかみ合わないと建物全体が崩れ落ちてしまうから。《第5交響曲》ほど、このことがはっきりとわかる作品はないだろう。実際、この曲はことのほか脆く、扱いにくい。
ヴォルフガング・ザイフェルト著/根岸一美訳「ギュンター・ヴァント―音楽への孤高の奉仕と不断の闘い」(音楽之友社)P359

ヴァントのブルックナーにまつわる見解は実に的を射ている。
そして、彼の正鵠を射た方法によって表現される交響曲はいずれも正統派であり、感動的だ。ほとんど生き物のように蠢く楽想と、一旦手放し沈黙するパウゼの交替の絶妙さ。

誤解されないよう言っておくが、私は音楽家であって、聖職者ではない。たとえ私が芸術と宗教との間に内的な結びつきを感じ、そのことを楽団員たちや聴衆に伝えることがあったとしても、そうすることが私の課題であるわけではない。演奏会は、内的な思念の体験を得させることがあったとしても、けっして礼拝でもなければそれに代わるものでもない。とはいえ、この世での音楽の営みのうちに彼岸の世界を描き出すことは、偉大な音楽と取り組むときの、確かに主要な課題の一つであろう。
~同上書P360

あくまで音楽家であるという老大家のスタンスこそが、ブルックナーの音楽に彼岸の世界を現出させるのだと僕は思う。

・ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調(原典版)
ギュンター・ヴァント指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1996.1.12-14Live)

ベルリンはフィルハーモニーでのライヴ録音。
第1楽章から終楽章までどの瞬間も完璧だけれど、個人的にはやはり終楽章再現部の第3主題からコーダに移り、第1主題と第1楽章第1主題が回想され絡むシーン、第3主題とコラール主題が交わりクライマックスを築く見事なシーンにあらためて感動を覚える。ここは音楽としても非の打ちどころがなく、しかもヴァントの棒も極めて冴えており、最美の演奏を聴かせてくれる。

かくして楽章全体は30という比例数に必然的に関連づけられる。こうすることでブルックナーは本能的に、ゴシックの大聖堂を建てた建築家たちの建築原理に従っている。彼らもまた、ひとつの数に基づいて大聖堂を設計したのである。大聖堂の建築構造のすべてのものはその数の倍数か約数にほかならなかった。まさにこのことから「調和的な」比率が生まれ、これらの「比率」こそが、ある精神的な「オルド(秩序)」の表出なのである。そしてその「オルド(秩序)」とは、その究極的な諸関係を、最終的には世界のひとつの調和、つまり一種のハルモニア論の中に見出さねばならないようなものなのである。
(「ブルックナーの形式意志—第5交響曲のフィナーレ楽章を例に」
レオポルト・ノヴァーク著/樋口隆一訳「ブルックナー研究」(音楽之友社)P115

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