フォーレ的な夜は、ホフマンやシューマンの幻想的な夜のように悪夢や暗黒の錯乱やサバトに身を捧げているのではない。しかしながら、フォーレ的な夜は、夢のない眠りや、無意識のむなしさに満たされているのでもない。
(ウラディーミル・ジャンケレヴィチ)
フォーレの音楽は、「夜」に支配されているとジャンケレヴィチは言う。
「夜想曲」に限らず、確かに彼の音楽には得も言われぬ幻想、夢の中にいるかのような錯覚を起こさせる不思議な匂いがある。例えば、夏の匂いを漂わせる(?)「舟歌」—「夜想曲」と同じくフォーレの全生涯に亘って創作された「舟歌」にも、僕はほんの少しだが暗い官能を感じる。
ジャン・ユボーのピアノは明朗だ。ほとんどガブリエル・フォーレの心情をそっくりなぞるかのように優しく明るいのだ。中でも後期に属する第12番変ホ長調作品106bisの軽やかでありながら晩年の愁い、透明感に通じる音調に僕は心が動く。
「舟歌第12番」の中心主題は未刊のまま放置されていたかなり以前の作品からとられたものと判断されるが、事実晩年のフォーレはこのような青年期の埋もれていた作品を活用する方法をしばしば用いている。彼は積極的にかつてのこのような主題を取り上げて、第3期の様式の中で新たな生命を与えているのである。
~ジャン=ミシェル・ネクトゥー著/大谷千正編訳「ガブリエル・フォーレ」(新評論)P197
ちなみに、戦争(第一次世界大戦)がフォーレに与えた影響は重大なものだったそうだ。
怒りが内燃する破壊力(?)の片鱗は確かに第11番ト短調作品105や第12番変ホ長調作品106bisにも(虚ろに)聴きとれる。
音楽とは現実を描くものなのか、あるいはただの幻想なのか。
虚実両方を醸すフォーレの音楽の美しさ。そして、その音調を見事に音化するユボーの誠実さ。