ボロディン弦楽四重奏団 ショスタコーヴィチ 弦楽四重奏曲第3番(1967録音)ほか

ショスタコーヴィチは、ある意味スターリンより上手だったのかもしれない。何より巧みな見せかけは独裁者以上の手腕だと思うから。

スターリンはもはや人間とはみなされていなかった。彼は神であった。そして、こういったすべてのことは彼とは無関係なもののようだった。彼はそのようなすべてのものを超越していたのだ。「指導者にして教師」はいっさいのものから手を引いたのだが、それを意識的に行ない、巧みにそのように見せかけていたのだ、とわたしは考える。しかし、そのようなことを理解したのは、もっとあとになってからである。だが、あの瞬間には、すべては終りだ、と思えてならなかった。印刷された楽譜は屑紙として破棄された。どうして焼却する必要があろうか。焼却するのは損である。不協和音の交響曲や弦楽四重奏曲などのすべてを再生紙にまわすならば、紙の節約となる。ラジオ放送用に録音した「形式主義」の作品テープは廃棄された。「これはすべて永久に廃棄された。形式主義の舵はもはや二度と首をもたげないだろう」とフレンニコフは語った。
ソロモン・ヴォルコフ編/水野忠夫訳「ショスタコーヴィチの証言」(中公文庫)P260-261

戦後間もなくのショスタコーヴィチ。
俗っぽい民謡調の剽軽な(?)旋律ながら、どこかに哀感と生真面目な性質の蔓延る弦楽四重奏曲第3番ヘ長調作品73。オリジナル・ボロディン四重奏団の演奏で聴くと、喜怒哀楽すべての感情が刷り込まれた唯一無二の、他の誰にもなし得ないショスタコーヴィチの真実が垣間見えるようで興味深い。真摯だ、誠心誠意だ。怖れを隠した軽妙さこそ二枚舌ショスタコーヴィチの真骨頂。10分に及ぶ終楽章モデラートの深い悲しみよ。

ショスタコーヴィチ:
・弦楽四重奏曲第1番ハ長調作品49(1938)(1967録音)
・弦楽四重奏曲第3番ヘ長調作品73(1946)(1967録音)
・弦楽四重奏曲第12番変ニ長調作品133(1968)(1972録音)
ボロディン弦楽四重奏団
ロスティスラフ・ドゥビンスキー(ヴァイオリン)
ヤロスラフ・アレクサンドロフ(ヴァイオリン)
ドミトリー・シェバーリン(ヴィオラ)
ワレンチン・ベルリンスキー(チェロ)(1962-72録音)

そして、作曲者の面目躍如たる晩年の第12番変ニ長調作品133の、2つの楽章の終始厳しくも暗澹な音調に心魂が激しく揺さぶられる。外面のとっつき難さに対して何よりヒューマンな温かさはショスタコーヴィチの本懐であり、穏和な内面を感じさせるオリジナル・ボロディンの演奏に喝采を送りたい。天晴。

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