
1992年は、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の結成150年記念年だった。
何とカルロス・クライバーとの来日が告知されたのだ。
当時、「すわ、一大事!」ということで、僕も早々とチケットを押さえ、2度目のクライバーの実演に期待を膨らまし、今か今かと心待ちにした。しかし、結局クライバーは来なかった。
クライバーはちょうどそのころスロヴェニアに滞在していた。そして病院で治療を受けているということだった。ウィーン・フィルハーモニーの楽員がマエストロの病状を確かめにわざわざ当地へ赴いたと言われている。クライバーは1992年のニューイヤー・コンサートのプローベの最中に、くりかえし身体の不調を訴え、ウィーン・フィルハーモニーでは、クライバーはニューイヤー・コンサートを降りるかもしれないという不安が広がった。彼が憂鬱症に罹っていることは明らかで、それはどんな医師にも悪夢だった。クライバーはきわめて教養が深く、医学にも精通していることがその悪夢の一角を占めていた。フランス楽旅の直前、彼は医師の診断書を得なければならないと言われ、ひどく不安になった。ウィーンは彼の病状に強い疑惑を抱いた。ウィーン・フィルハーモニーはひどく落胆し、絶望して代役を探した。フランスではパリの各紙は熱狂的に期待感をあおっていたが、クライバーと同じランクの指揮者を早急に見つけることができなかった。一方、主催者はもっぱらクライバー頼みを変えなかった。
~アレクサンダー・ヴェルナー著/喜多尾道冬・広瀬大介訳「カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記 下」(音楽之友社)P312-313

当時、本当に病気なのかどうなのか、多少の物議を醸した。
ファンの間では様々な憶測が飛び交っていたが、極度の憂鬱症が再発したという話に、それならば致し方ないことだと僕は納得した(未だインターネットも普及していない時代にあって、得られる情報はわずかだったので疑心暗鬼にもあったけれど)。カルロス・クライバーも亡くなって早20余年が経過する。今となってはそれも含めすべてが良い思い出だ。
残念な思いを滲ませつつ、(代わりにといっては何だが)僕は店頭に並び始めていた音盤ボックス「ウィーン・フィル栄光の歴史」(14枚組)を大枚叩いて購入した。
さすがに「ウィーン・フィルと名指揮者たちの触発から生まれた名演奏ばかりがならべられており」、すべての演奏に心から感激した。
中に、ブルーノ・ワルターがウィーン・フィルを指揮したマーラーとモーツァルトがある。
いずれもが名演で、こういう録音を聴くと、ワルターにマーラーの全交響曲の録音があれば良かったのにとつくづく思う(実際、1950年代にはそういう話もあったそうだ)。
ワルターは7月初めにアメリカに戻り、ビヴァリー・ヒルズで数ヶ月を過ごした。彼は再びマーラーの交響曲全曲録音を打診されたが、今度はニューヨーク・フィルとのものだった。1月には既に第1番を録音しており、コロンビア・レコードは結果に満足したのに違いない。当時の執行副社長のゴダード・リーバーソンは8月にワルターに接触し、マーラーの交響曲全曲を録音してもらおうと、「何度も」話し合っているのである。前のウィーン交響楽団の時とは違って、今度はワルターに断る理由はなかったが、しかし受ける用意もなかった。「マーラーの交響曲をすべて録音するという計画を行うことが、私にとっていかに大きな意味を持つか、ご想像がつくでしょう。もちろん、あなたもおっしゃった、私の側のためらいはまだあるのですが、他方では、マーラーの偉大な作品をあらゆる手段をもって生かしておくという自分の義務を強く感じてもいます。しかしながら、この問題にはあまりにも検討すべき側面が多過ぎて、手紙ではどうすればいいかわかりません。」結局どういうことになったのかは、推し量り難い。ワルターは続いてニューヨーク・フィルと第2番を録音し、それは連続して全曲を録音するという意図があったのかもしれないが、心臓発作と新しい技術—ステレオ録音の普及—によって、このシリーズは、これがシリーズだったのだとしても、中断となった。
~エリック・ライディング/レベッカ・ペチェフスキー/高橋宣也訳「ブルーノ・ワルター―音楽に楽園を見た人」(音楽之友社)P506
夢のまた夢。否、もはや実現不可能な夢。

1955年のブルーノ・ワルターを聴いた。
会場はウィーン楽友協会大ホール。
ワルターのモーツァルトには、確固とした芯がある。
それは、純粋に音楽に奉仕せんとするワルター自身の内面の表れであるように思う。
(ワルターがモーツァルトを真に理解できるようになったのは晩年になってからだったとどこかで本人が書いていたように記憶する)
第1楽章序奏アダージョから昂揚する。そして、主部アレグロに移行する、その瞬間の解放感は絶品の一言。自然体の、それでいて意味深い、いかにもブルーノ・ワルターという「プラハ」交響曲!白眉は第2楽章アンダンテの、涙なしには聴けぬ愁いを帯びた音調(実に思いのこもったモーツァルトに感激)。ワルターのモーツァルトはやっぱり美しい。

一方、マーラーの第4番については、戦時中のセッション録音よりも、また1960年のウィーン告別コンサートのライヴ録音よりも生気に溢れ、力強く、また可憐で、マーラーの(それこそ)天国的な調べを慈悲の心でもって再現される様子に言葉がない。
(それにはまたギューデンの歌唱も一翼を担っている)


