ラトル指揮バーミンガム市響 ショスタコーヴィチ 交響曲第4番(1994.7録音)ほか

若きサイモン・ラトルが録音したショスタコーヴィチの交響曲第4番は指折りの名演奏だと思う。何が素晴らしいのか? 一番は、あの暴力的かつ攻撃的で騒然とした不協和音の嵐のような前衛(?)音楽に類稀なる抒情性を持ち込み、耳に優しく仕上げている点だろうか。

ショスタコーヴィチの大傑作はもちろん実演に触れるのがベストだ。壮大な音の構築物を目で見て、音を追うのに優ることはない。

ミャスコフスキーは、1936年12月11日に自分の日記にこう書き留めている。「ショスタコーヴィチは度重なる議論にひどく悩まされ、雄大なスケールでまばゆいばかりの新しい(第4)交響曲の上演を取りやめてしまった。我々同時代人にとって、何と不面目なことか」。1945年にショスタコーヴィチとモイセイ・ヴァインベルグは、2台のピアノのために作曲家が編曲した交響曲第4番を力強く演奏した。それを聴いた作曲家の生徒であるエヴゲニイ・マカロフは、なぜ10年前、その作品が演奏にふさわしくないとみなされたか、納得がいった。
ローレル・E・ファーイ著 藤岡啓介/佐々木千恵訳「ショスタコーヴィチある生涯」(アルファベータ)P134-135

曰くつきの巨大な交響曲は、今でこそショスタコーヴィチの最高傑作の一つに数えられているが、確かに1930年代のソヴィエト連邦においては早過ぎたのだと思う。

・ショスタコーヴィチ:交響曲第4番ハ短調作品43(1936)(1994.7録音)
・ブリテン:管楽器と打楽器のためのロシアの葬送(1936)(1994.12録音)
サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団

何より音楽の見通しの良さ。全体観に優れたショスタコーヴィチの音楽は幾度聴いても飽きないものだ。特に、終楽章ラルゴ—アレグロの後半部、主題が強奏される壮大なクライマックスから一転静けさを保持し、ホルンの弱奏、そして美しいチェレスタの響きが静かに、また透明感をもって奏されるシーンの(彼岸の)官能(?)は他の何者にも代え難いものだ。

ちなみに、同じ年に作曲されたベンジャミン・ブリテンの「ロシアの葬送」がカップリングされているのも興味深い。数年前に上野でカエターニ指揮都響の演奏を聴いたときも決してうるさくならない、静謐ながら力のある音調、音楽の素晴らしさに感心したものだ。

《マクベス夫人》の衝撃は、直後に書かれた吹奏楽のための《ロシアの葬送》に聴き取ることができる。共産主義者の作曲家アラン・ブッシュとロンドン労働者合唱ユニオンのために描いた作品で、偶然にも、主要テーマは後にショスタコーヴィチが交響曲第11番でも用いたのと同じロシアの民謡だった。
デイヴィッド・マシューズ著/中村ひろ子訳「ベンジャミン・ブリテン」(春秋社)P48

ショスタコーヴィチとブリテンをつなぐ強固な絆。二人の天才が同時代に生まれ合わせることのできた奇蹟だろう。

ブリテンは3月に《ムツェンスク郡のマクベス夫人》のコンサート形式の上演を聴いて、称賛のコメントを日記に書いている。「この作品が『様式に欠けている』と攻撃されたら、ぼくはいかなるときも防御に回るだろう・・・客席でせせら笑っていた『著名な英国ルネッサンス』の作曲家たちがその典型だ。彼らの『エレガントな』音楽全体を合わせたより豊かな音楽が、マクベス1ページの中にある」。
~同上書P48

ブリテンの慧眼よ。

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