ブーレーズ指揮シカゴ響 バルトーク 4つの管弦楽曲ほか(1992.11&12録音)

晩年のいくつかの傑作—《弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽》(1936)、ヴァイオリン協奏曲第2番(1937-38)、《管弦楽のための協奏曲》(1942)—では、帰郷の儀式が繰り返される。各作品の最終楽章は、おずおずと離れて農民たちを見ていた作曲家がついにノートを投げ捨てて、騒ぎに加わりでもしたかのように、あきらかに解き放たれた感覚をもたらしている。
アレックス・ロス著/柿沼敏江訳「20世紀を語る音楽1」(みすず書房)P118

アレックス・ロスの音楽の捉え方、あるいはその表現方法の巧みさ。確かにバルトークの晩年の作品群には「帰郷の儀式」なるものが垣間見えるような気がする。

帰郷の儀式は、バルトークが異郷アメリカで書いた管弦楽のための協奏曲でもっとも痛切に感じられる。トランシルヴァニアはその頃には、最後の病が作曲家を動けない状態にしてうたとはいえ、バルトークがそのなかを隅から隅まで踊ることのできる純粋に心的な空間となっていた。
~同上書P118

「純粋に心的な空間」となっていたことがミソ。
世界が戦争に明け暮れる中、祖国を失ったバルトークにとって、「地域的なものと普遍的な者とのあいだにつねに求めてきた均衡を見いだしつつあった」とロスは分析する。なるほど納得だ。間違いなく彼の音楽に郷愁はある。しかしながら、それは個人的な感傷ではなく、全人類が共有できる喜びの一種なのだろうと僕は思う。

連合軍がノルマンディーに上陸してから数週間後、19歳の新顔の学生がメシアンの家の扉をノックした。「ムッシュー・ブーレーズ(ピエール・ジャメの生徒)が9時半に訪れた」と彼は日記に書いている。「現代音楽を好む」と彼はつけ加える。これは控えめすぎる表現だった。ピエール・ブーレーズはその後、戦後の前衛の完璧な代表者になっていく。マンの小説『予言者の家で』から引用するなら、「妥協も譲歩も中庸も、また価値の斟酌も」許さない人間だった。
アレックス・ロス著/柿沼敏江訳「20世紀を語る音楽2」(みすず書房)P376

未来志向の前衛音楽家が指揮者に転じ(?)、再生したバルトークの音楽の冷めた郷愁が何だかとても美しい。

バルトーク:
・4つの管弦楽曲作品12 Sz.51(1912/21)
・管弦楽のための協奏曲Sz.116(1942-43/45)
ピエール・ブーレーズ指揮シカゴ交響楽団(1992.11&12録音)

年齢を重ねるごとにバルトークの美しさがはっきりと見えるようになる。
あるいは、ブーレーズの、目くるめく内なるパッションの奔流と途轍もない集中力に、以前はまるで気づかなかったかのように感動を新たにする。クーセヴィツキーの委嘱による傑作、管弦楽のための協奏曲がこれほど瑞々しく、血の通った音で演奏されたことが他にあるのかどうなのか。実演を聴いているのかと錯覚するほどの温かみ(中でも「哀歌」と題された第3楽章!!)。それは病を得たバルトークが故郷ハンガリーへの想いを描こうとしたその心境の反映なのだろう。何より作曲家のその思念を素晴らしく音化する前衛音楽家の力量よ。そして、第4楽章間奏曲を経ての「帰郷の儀式」たる終楽章の興奮よ。

ところで、民謡採集に力を入れつつも、一方でストラヴィンスキーやドビュッシーの影響を受けた第一次世界大戦直前、いわば独自の前衛的作風を推進していた頃に生み出された4つの管弦楽曲は、第1曲「前奏曲」、第2曲スケルツォ、第3曲「間奏曲」、終曲「葬送行進曲」から構成されるが、見事な形而上的連関を秘め、最後に位置する、激する「葬送行進曲」の破壊力に言葉を失う(いかにもバルトークらしい緻密さと死への官能を表現する美しさ)。また、第1曲「前奏曲」にはその予兆があり、深刻な音楽の中に蠢く愛らしさが何とも素敵。

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