ヘッツェル ファウスト ラヴェル ヴァイオリンとチェロのためのソナタほか(1989.8録音)

かつて北イタリアか、あるいは南フランスか、国境近く、その辺りに生きていたのだろうかと思う。

エキゾチックなモーリス・ラヴェル。「序奏とアレグロ」が何とも儚く、美しい。
音楽は愁いを帯びながらも弾け、うねる。そしてまた、原曲以上に夢心地のフルートとハープのために編曲された「亡き王女のためのパヴァーヌ」の永遠。いつまでも浸っていたいと思うフルートの奏でる主題に心が動く。

あるいは、ドビュッシー追悼に書かれた第1楽章アレグロをベースに3つの楽章を追加して発表されたヴァイオリンとチェロのためのソナタはラヴェル渾身の出来だろう。2つの楽器が直接に対峙するこの20分ほどの精神的佳曲は、初めて聴いたときから僕の宝物になった。

6歳までの彼の〈全体〉との体験的関係は、ごく単純に母への愛である。彼の〈母〉と〈世界〉とは同じ一つのものだ。この情愛に満ちた大きな女性は、無数の根と幾千の枝によって〈自然〉のなかで完結し、そのなかに姿を消している。すべてを覆う〈自然〉は、その最も完璧な被造物の甘美な裸形の上に、天と水との己が血管を、己が歳月の廻る火を映している。大気と水とに溶けていくこの〈水精〉と、半ば以上入りまじった少年は、彼の吸玉を母の肉の中に沈めて、肉親の体を通して大地の精髄を吸い上げている。母は世界を食い、子供のほうは母を食う。乳房を介して「巫女の白さに流れるのは女」であり、この奇怪にして流動的な聖体の中に、〈宇宙〉の全体が現前している。
(マラルメの現実参加から「II選ばれし者」)
ジャン=ポール・サルトル/渡辺守章・平井啓之訳「マラルメ論」(ちくま学芸文庫)P139

小宇宙たるこの身体は霊性と一つになってはじめて機能するものだが、音楽とはその一体の顕現であり、20世紀のドビュッシーやラヴェルの目指した世界とは、愛そのものだったのではないかと思われる。喜怒哀楽、とりわけ悲哀に包まれるかの音楽たちには、想像以上の慈しみの光が漲るようだ。

ラヴェル:
・序奏とアレグロ(ハープと弦楽四重奏、フルート、クラリネットのための)(1906)
・亡き王女のためのパヴァーヌ(クイント・マガニーニによるフルートとハープのための版)(1899)
・ヴァイオリンとチェロのためのソナタ(1920/22)
ドビュッシー:
・シランクス(パンの笛)(フルート・ソロのための)(1913)
・フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ(1915)
・ビリティスの歌(ピエール・ルイスによる12の詩の朗読のための付随音楽)(アルテュール・オエレ復元校訂版)(1900)
 第1曲:牧場の歌
 第2曲:くらべっこ
 第3曲:お話
 第4曲:歌
 第5曲:骨投げ遊び
 第6曲:ビリティス
 第7曲:名のない墓
 第8曲:エジプトの官女たち
 第9曲:きれいな池の水
 第10曲:カスタネットの踊り娘
 第11曲:ムナシディカの想い出
 第12曲:朝の雨
カトリーヌ・ドヌーヴ(朗読)(1990.3録音)
アンサンブル・ウィーン=ベルリン(1989.8録音)
 マルギット=アンナ・ジュス(ハープ)
 エーデルハイト・ブロフスキー=ミラー(ハープ)
 ヴォルフガング・シュルツ(フルート)
 ハンス・ヴォルフガング・デュンシェーデ(フルート)
 カール・ライスター(クラリネット)
 ゲルハルト・ヘッツェル(ヴァイオリン)
 ライナー・ホネック(ヴァイオリン)
 ヴォルフラム・クリスト(ヴィオラ)
 ゲオルク・ファウスト(チェロ)
 ロルフ・ケーネン(チェレスタ)

ヴォルフガング・シュルツの独奏によるシランクスの浮かれたような音調に、憧れと懐かしさを思う。何よりたった一本の楽器によって奏でられる孤独と孤高は筆舌に尽くし難いものだ。そして、最晩年の傑作フルート、ヴィオラとハープのためのソナタは、死を目の前にした諦念がわずかな希望とともに奏でられ、祖国フランスへの大いなる愛情と自負が垣間見られ、美しい。
それにしてもフランス語の詩の耳に優しい響きはいかばかりだろう。ドヌーヴの声が実に官能を喚起し、目の前にパントマイムが繰り広げられる錯覚に陥るほど。

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