Chet Baker “Chet” (1959)

チェット・ベイカーは譜面を読めなかったという。

1948年、陸軍を除隊したチェットはカリフォルニアに戻った。自分の知識不足を痛感し、ロサンゼルスのエル・カミーノ大学で2つのクラス、和声と音楽理論を受講した。しかし、途中で挫折する。1953年のチェット談、「(学校の勉強は)簡単すぎてダメだったのか、ついていけなかったのかは自分でもよくわかりません。学校で皆がやっていたのは音楽のルールを覚えては、それを忘れる、ということでした。私は耳を使って自然に音楽をやりたかったのです。自分の耳でいいと思うものはいい音楽と思いました。学んだ楽理に頼るのは、耳で音楽を判別できないか、創造力が足りない者のやることでしょう。」
ユールン・ドフォルク著/城田修訳「改訂版 チェット・ベイカー その生涯と音楽」(現代図書)P20

奔放なチェットらしい言葉だが、ある意味一理ある言葉だと僕は思う。理論理屈よりも実践を重んじた、思考することよりも実践することを愛した彼の音楽は確かに浮き沈みあれど、好調のときのパフォーマンスは人後に落ちない、究極の煌めきを顕すものだ。
デイブ・ブルーベックは次のように回想する。

ピアニストのデイブ・ブルーベックは40年代後半のチェットとのセッションの思い出があった。「チェットに、チェット、何やる? と聞いたら、なんでもいいよ、と彼は言いました。曲を決めて、キイはどうする? と聞くと、いいから始めろよ、と言いました。彼は一般のミュージシャンの様には音楽を感じていないことがわかりました。全く、自然に音楽を感じているのです。なんの曲でもイントロを始めれば、2-3小節すれば彼は加わってきました。」
~同上書P21

それは、天才チェット・ベイカーの真骨頂。
決して華美にならない、枯れた美の味わいを持つ憂愁のトランペット。

・Chet Baker:Chet (1959)

Personnel
Chet Baker (trumpet)
Pepper Adams (baritone sax)
Herbie Mann (flute)
Kenny Burrell (guitar)
Bill Evans (piano)
Paul Chambers (bass)
Connie Kay (drums) (1958.12.30録音)

Chet Baker (trumpet)
Pepper Adams (baritone sax)
Herbie Mann (flute)
Bill Evans (piano)
Paul Chambers (bass)
Philly Joe Jones (drums) (1959.1.19録音)

一流のサイドメンを従えての全編バラード集は、チェットのトランペットが囁き、唸る。劈頭を飾る”Alone Together”からソフトでムーディーな夜の雰囲気抜群で、この音調は次の”How High the Moon”にそのまま引き継がれる。ここでのハービー・マンの(イアン・マクドナルドに影響を与えたかのような)フルート・ソロが素晴らしい。そして、”It Never Ended My Mind”でのチェットとケニ・バレルとの切磋琢磨(?)がメロウで何とも美しい。

ところでこの録音の少し前、50年代半ば、フランス人のガール・フレンドの帰国に伴い、(ツアーを口実に)彼は彼女を追いかけた。このヨーロッパツアーは大変な人気だったそうだ。

「(誰も本人を見たことがないのに)彼の名声は先行していました。チケットは売り切れでした。その細身のアメリカ兵のようなトランペット奏者が舞台で演奏しようとした時、場内は針が落ちても分かる程異常な静寂の場となりました。彼がマイ・ファニー・バレンタインを歌い始めると聴衆は皆息を飲みました。素晴らしい瞬間でした。」
(作家レムコ・カンペルト)
~同上書P64

おそらくチェットは26歳にして人生の絶頂にいた。しかし、こういう幸福をあえて自らの手で葬ろうとせんとしたことがいかにもチェットらしい。
1956年11月10日の、薬物保持による逮捕を皮切りに彼は一層薬物にはまっていく。と同時に、幾度も逮捕され、投獄すらされることになる。

まるでメンバーから離れ、遠くから静かにトランペットを細く豊かに奏でる孤独の音は、まるで彼の人生そのものを表すかのよう。

人気ブログランキング

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む