
ベートーヴェンのソナタの持つそれぞれの技術的な課題、技術的なむずかしさをもはや意識しないようになるまで、あなた方の技術的基礎を発展させるようにして下さい。
何故ならベートーヴェンは「体験」されねばならぬからです。彼をあなたが体験することができたなら、あなたの聴衆も彼を体験することができましょう。
(ヴィルヘルム・ケンプ)
ヴィルヘルム・ケンプのベートーヴェンを聴いた。
録音で聴く限りスケールは決して大きくない。しかし、その内へ内へと収斂する、可憐な響きはいかにもベートーヴェンの女性的な、優雅な側面を表出していて実に面白い。特に初期ソナタたちよ。
ハノーファーはベートーヴェンザールでの録音。
ケンプのベートーヴェンについての見識は奥深い。無為に音楽が湧き立つように演奏せよと彼は言う。
少なくとも録音においてケンプの演奏は素朴で自然体だ。
ということは、彼は自身の言葉を体現しているということだ。「悲愴」ソナタは美しい。しかし、それ以上に僕の心をとらえるのは、作品14のソナタホ長調であり、ソナタト長調だ。ここからは、ウィーンで、少なくともピアニストとして頭角を現していた青年ベートーヴェンの気概が聴こえてくる。それにケンプの演奏は何とも若々しい。
例えば、ホ長調作品14-1の第2楽章アレグレットでの囁き、語りかけるような、しかし輪郭のはっきりした音楽に僕は愛を思う。ケンプは心底ベートーヴェンを愛しているのだと思う。続く終楽章ロンド,アレグロ・コモドなども何という喜びに溢れているのだろう。いまだ耳疾を発症する前のベートーヴェンの未来への希望。素晴らしいと思う。