
最晩年のベートーヴェンの経済的困窮と諸々の事件の間で生み出されたガリツィン侯委嘱の3つの弦楽四重奏曲。いずれも出版し、買い取ってもらうところまでが作曲家の仕事であり、この不朽の名作群が状況によっては世に出ることがなかった恐れも何%かはあるわけで、僕たちの、ベートーヴェン後期弦楽四重奏曲の運の良さ、それらが世に問うべき役割の重さをあらためて思う。
1825年3月19日付、ニート宛手紙。
あなたが書簡のなかで言っておられた四重奏曲に関して、第1番(Op.127)はできあがり、第2番(Op.132)は現在作曲中で、それと第3番(Op.130)はほどなくできあがります。あなたは3つの四重奏曲に100ギニーを提供下さる。このご提案はまことに結構だと思います。
~大崎滋生著「ベートーヴェン 完全詳細年譜」(春秋社)P475
しかし、これら四重奏曲はベートーヴェンの病気のため、最終的に脱稿されたのは第2番(Op.132)が盛夏、第3番(Op.130)は11月になったようだ。
心身ともに苦悩の状況の中で書かれた四重奏曲たちの、筆舌に尽くし難い「芯」と「真」に感動を覚える。幾度耳にしても、これらは人間の知性から生まれたものとは思えない、神の智慧の産物だといっても過言でないほどの力と器を持つ傑作群だ。
ハノーファーはベートーヴェンザールでの録音。
ラサール弦楽四重奏団の演奏は、隅から隅まで研ぎ澄まされている。冷たく静かな音調が、どの瞬間も、死の淵から帰還したベートーヴェンの深層の声を露わにする。
医師は死の扉を閉じる。音譜も貧乏から救う。(繰り返し)
~小松雄一郎編訳「新編ベートーヴェンの手紙(下)」(岩波文庫)P170
1825年5月11日、療養中のバーデンから出された手紙には上記の音符と歌詞が掲げられている。苦痛を伴う病から生還したベートーヴェンは作品132の第3楽章モルト・アダージョを書いた。何と静謐で癒しに溢れる音楽であることか。