ターナー指揮ウィリアム・バード合唱団 バード 聖母マリアのミサ(1990.2-3録音)

ウィリアム・バード生誕480年(?)、そして没後400年の年。
英国国教会と対立したバードの作品は、いつもどこか切ない。カトリックへの弾圧を逃れ、密かに書き上げた音楽には、どうにもやるせない、鬱積した思念が蔓延るのだ。

いつの時代も魂は自由であることを忘れてはなるまい。信じるものは何であっても良い。神や仏は自身の中にあることを知ることが大切だ。

自己愛という罪が わが眼に わが魂に
わが肉体のあらゆる部分にとりついている
しかも この罪には矯正する術がない
私の心に深く根をおろしているからだ。

(ソネット62番自己愛)
関口篤訳編「シェイクスピア詩集」(思潮社)P31

自らを受け入れ、愛することは大切だ。しかし、自惚れてはだめだ。
いつどんなときも謙虚であれ。

・バード:グラドゥアリア 聖母マリアのミサ
デボラ・ロバーツ(ソプラノ)
デイヴィッド・コーディア(カウンターテナー)
マイケル・チャンス(カウンターテナー)
ジョン・マーク・エインズレー(テノール)
マイケル・ジョージ(バス)
ギャヴィン・ターナー指揮ウィリアム・バード合唱団(1990.2.27-28 &3.1録音)

ロンドン、ハムステッドはロスリン・ヒル教会での録音。
いつぞやにも書いたけれど、バードの音楽には言葉にならない哀しみが宿る。
そのとき、僕は「信仰のズレから生じる落胆と哀しみ」とした。我ながら上手い表現だと思う。

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