
ベートーヴェンが生涯をかけて取り組んだジャンルが弦楽四重奏曲。
晩年のそれは、言語を絶する高み、超次元ともいうべき域に到達したもので、次世代、後世に向けてのメッセージ、あるいは指南とするべくそれら数曲をもって彼は人生の総決算としたのだろうと想像する。もちろん本人はそこで一旦この世を離れるとは思ってもいなかったのだろうが。
児玉麻里がベートーヴェン・イヤーに向け、リリースした録音をあらためて聴いた。
稀代の作曲家たちがこぞってベートーヴェンの四重奏曲に触れ、感動している様子が、彼らのピアノ編曲版を通じて知ることができた。此岸と彼岸の橋渡し的な存在、この透明な響きは弦楽四重奏では得られない、ピアノ独奏ならではのものだ。
これは本当に特筆すべき録音。
録音技術が未だなかった19世紀は、楽聖の作品を聴くにはピアノというツールを使用して編曲版を創造するしかなかった。現代の僕たちにとってはそれこそ予定になかった恩恵を受けることになったわけだが、ベートーヴェンとそれぞれの天才作曲家とのいわばコラボレーションの妙がどのトラックからも聴こえてくるのだから堪らない。バラキレフによる作品130のカヴァティーナやムソルグスキーによる作品135の中間楽章は真に聴きどころ(どうせなら全曲の編曲を残しておいてほしかった)。
それと、ベートーヴェンが愛するモーツァルトのクラリネット五重奏曲のピアノ編曲版!
原典とは少々かけ離れているけれど、それでもモーツァルトの精神をこれほど多彩に、魅力的に伝える編曲は他の追随を許さないとは、ライナーを書くウルバッハの見解。なるほど、納得だ。文字通りモーツァルトとベートーヴェンの協働であり、あえていうならアウフヘーベンだ。