
1818年以降、未完に作品が激増するシューベルトの人生。中でも、たった2つの楽章しかもたない未完成の交響曲であるにもかかわらず、後世の人々の心をくぎ付けにする「未完成」交響曲という音楽史のミステリー。真相はもはや誰にもわかるまい。
オーケストラ総譜の作曲開始は、1822年10月30日のこと。
しかし、忘れ去られた作品は、1865年5月になってヨハン・ヘルベックによって発見され、初演は同年12月17日にウィーンの楽友協会大ホールにて行われた。
2つの楽章であるがゆえの強調された抒情の表出。
ジュリーニの指揮による「未完成」交響曲は、明確な輪郭を伴なう、いかにもドイツ的表現の極致であり、その潔さに聴いていて心地良いくらい。しかし、個人的には大味な感が否めない。
「悲劇的」と題する交響曲は、1816年4月27日に完成したらしい。何と、シューベルト19歳!タイトルは「悲劇的」とあるが、全曲を通じてその印象は欠片も感じられない、少なくとも僕には。いかにもシューベルトらしい、アダージョ・モルトの序奏を伴なった快活な第1楽章アレグロ・ヴィヴァーチェの堂々たる風趣。続く第2楽章アンダンテも彼らしい、清廉な風が感じられる歌の宝庫。あまりに切ない音楽を、ジュリーニは精魂込めて歌う(その意味で、この演奏には多少の悲劇性を感じられなくもない)。仄暗い強さを秘める第3楽章メヌエットを経て、終楽章アレグロは、少年とは思えないほどの官能の熱がたぎる。それは何とも死と同化したような愛ともいえる。
花ひらき諸鳥はうたう
みどりなす森に行かまし。
われやがて墓に憩わば
耳も眼も土を冠りて、
花ひらく姿も見得じ、
鳥の声聴きも得ざれば。
「森に行かん」
~片山敏彦約「ハイネ詩集」(新潮文庫)P126-127