久しぶりに”Who’s Next (Deluxe Edition)”を聴いて感動した

whos_next_deluxe夜風が冷たい。人の心は温かい。
一見そうだが、意外に逆かも。自然は大らかで人間はせせこましい。

実演に触れねばその音楽家の価値は決して判断できない。
1787年、プラハにおいてモーツァルトの作品、演奏は大喝采、賞讃を浴びた。

そのあと、みんなの要望により彼がピアノフォルテに向かい、30分以上も即興演奏を行った。その神技のような演奏に、満員の聴衆たちがこれほど恍惚としたことはなかった。非凡な作品、非凡な演奏のどちらにより感嘆すべきか、私たちにはわからなかった。その両者が一体となって、私たちの魂を感動させ、甘美な魔術にかかったようだった!
(ニーメチェク著「モーツァルト伝」)

仮に多少の脚色があるにせよ、モーツァルトの作品はモーツァルト自身の演奏で、しかもその即興を耳にしない限り真価は云々できないのかも。悲しいかな。録音機器の存在しないあの頃は、演奏する側も聴く側も一瞬一瞬が真剣勝負だった。

キース・ジャレットの名盤誉れ高いいくつかの音盤を聴き、いくつかのソロ演奏の映像を観て、ニーメチェクがモーツァルトを表現した上記の文章を思い出した。しかし、僕のこの行為ですら録音を通してだ。やはり、「ケルン」の時はケルンの聴衆、「パリ」の時はパリの聴衆、そして「ウィーン」の時はウィーンの聴衆のみが体感し得た「恍惚」があり、それは残念ながら「そこ」にしかない追体験不可能なものだ。

さらに、1940年、ブダペストでのベラ・バルトークの「お別れコンサート」の模様についても。

世の中の先行きは不透明で、演奏者だけでなく聴衆の重苦しい気分が大絶賛となって表れた。聴衆の多くは父のリサイタルや父と母の演奏会の常連客だった。最後の曲が終わると聴衆はアンコールを求め続け、父は深々と頭を下げた。だが最後はピアノに歩み寄り、簡単な小品を1曲だけ演奏した。「ミクロコスモス」か「子どものために」の何かだったように思う。
ペーテル・バルトーク著「父・バルトーク」P88)

第二次大戦のあの頃、人々は真の「癒し」を求めて音楽に触れていたのだろう。音楽のもつ刹那性、一過性こそ一期一会の真実。

The Who:Who’s Next (Deluxe Edition)

Personnel
Roger Daltrey (vocals)
John Entwistle (bass guitar, piano, brass and vocals)
Keith Moon (drums and percussion)
Pete Townshend (guitar, VCS3, ARP synthesizers, organ, piano and vocals)

久しぶりに”Who’s Next”を聴いた。デラックス・エディションには1971年のヤング・ヴィック・シアターでの実況録音が収録されており、実にエネルギッシュで、ザ・フーらしい激しさに思わず腰が抜けたほど。決してうるさくなく、高い音楽性を保ちながら、しかも劇的に「ハード」なのである。ジョンのベースがうねり、ピートのギターが唸りをあげ、キースのドラミングが大地を這う。その上にロジャーが吠えるのだ。コンサートが進行するにつれヒートアップし、”Water”で最初のクライマックスを築き、”My Generation”、”Road Runner”と続き、”Naked Eyes””Won’t Get Fooled Again”で絶対的クライマックスを迎える。格好良すぎる・・・。

ザ・フーはライブ・バンドだ。オリジナル楽曲はいずれもスタジオ録音に負けないテンションとパワー、そして演奏技術も半端ない。カヴァー曲に関しても、ザ・フーならではのアレンジで聴く者を圧倒する。ピート・タウンゼントの本領発揮というところか。

そして、スタジオの名盤を取り出す。”Baba O’Riley”のイントロに涙、わかっているのに・・・。

今宵は、モーツァルト、バルトーク、ザ・フーと結んでみた。
ピート・タウンゼントの作曲能力、演奏能力はモーツァルトのもつ天衣無縫さ、そして陰陽一体の才能と同類かも。あるいはジョン・エントウィッスルの静かな安定感はバルトークの怜悧な頭脳に通じる・・・。
音楽の歴史は真に面白い。

 


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